1月4日(火)/晴・南西の風やや強し

遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
それにしても昨年は災害の多い年でしたね。多くは望みませんが、せめて今年が例年並みの年であることを祈ります。
暮れに差し掛かって、災害が多い年だったといっている正にその時、スマトラ島沖地震・津波が発生しました。今年一年の災害は、このディザスターのための序章に過ぎなかったといわんばかりの大災害になりました。既に死者は12万人を超え、さらに増え続けているばかりか、数千人、もしくは数万人の行方不明者を残すことになりそうです。
ニュースの映像に、轅(ながえ)に繋がれ手綱を張り詰めて後足立つ荒馬のように、ヨットが錨索に舳先を縛められて翻弄される様が報じられ、私の神経を凍りつかせました。
先日来、永い間私と同航したヨット・シーマの安否が気掛かりでした。オーナーの松浦氏は、インド洋を未だ越えずプーケットに停泊していたのではなかったか?
野次馬風に彼の留守宅に問いかけるのも少々憚られていた矢先でしたが、あの映像を見てはもう躊躇していられません。私は北九州市の松浦氏宅に電話をしました。
電話に出られた奥様の声の明るさで無事を直感したとはいえ、私は、矢継ぎ早に彼の安否を問いました。松浦氏は、津波のその時、所用で内陸の街に出掛けていたそうで、幸運にも災害には遭わなかったそうです。とはいえ、ヨットは相当の被害を受けたことだろうと尋ねると、近辺にはマリーナが3箇所あって、2箇所は壊滅的な被害をこうむったのですが、シーマが停泊するマリーナはほとんど無傷だったそうです。唯一、松浦氏の隣の鋼鉄製のヨットが船腹を凹ませたのみとのことでした。
無差別テロにも増して何物をも飲み尽くす災害のさ中にあって、松浦氏に何の被害もなかったことに安堵し胸を撫で下ろしつつ、自然災害が砂上の楼閣の如き人間の営みを破壊し尽くす恐怖に、改めて肌に粟を生じたことでした。
インターナショナル・ヨッティーは、11月にオーストラリア北西岸のダーウィンを発ってバリに渡り、ジャワ海を北上してシンガポールに、さらにマラッカ海峡を更に北上して12月中旬にプーケットに至ります。そして、これからインド洋をアラビア半島へ渡る仲間と羽目を外したクリスマスを祝って、歳末から正月にかけてプーケットを出発するのがワールド・クルージングのセオリーです。
ですから、クリスマス直後に出発したヨットは、インド洋上で津波のやや大きなうねりを越えた程度で済んだのでしょうが、まだ出発しなかった多くのヨットがプーケット近辺にはいたはずで、それらのヨットがどうなったか?私は、そのことが気掛かりでなりません。
はるばるいくつもの大洋を越えてここに至り、何らかのアクシデントでその先の航海を諦めざるを得ない悔しさは、私自身が身を切り刻むような想いで味わい尽くした無念さです。さらに、私の心の内壁には、為すべくして為しえなかった航海の敗北や挫折の想いがトラウマという棘となって、未だに突き刺さったままです。
完全に航海を諦めざるを得ない人、修復すれば夢の続きに挑めると、必死に船を修理しつつモンスーン気象帯の次のシーズンを待つ人、このアクシデントで人生があらぬ方向に転換してしまう人・・・・・人それぞれに、この災害は様々な人生模様を描くことになります。そう思うと、この災害がもたらす悲惨が計り知れぬものとして私の胸に迫ります。
話は変わりますが、堀江謙一氏と斉藤実氏が、いまケープ・ホーンに接近中です。斉藤氏は、堀江氏の約1000海里西の後方にいて、連日極限の嵐に挑んでいます。斉藤氏の酒呑童子Ⅱは既に2度にわたってノックダウンを食らい、風向風速計が破損したとのことです。
面白いことに、僅かに先行する堀江氏の方は厳しい海況にあるとはいえ、操船不能というほどの状況ではなく、順調に航海中です。
何しろ、Roaring Forties(咆える40度線)からFurious Fiftieth(怒号する50度線)にかけての航海です。何が起きても不思議ではない世界を、斉藤氏はかつて世界一周レースで共に走り、彼の数百km後方で遭難し死去した友を弔いにその海域に向かっています。
堀江氏のマーメード号は約880海里でケープ・ホーンです。順調に行けば12日頃に、世界一の荒ぶる海ドレーク海峡を越えそうです。斉藤氏の方は、現時点ではちょっと予測ができません。
何れにせよ、二人が無事に航海を続けてくれることを、切に切に祈っています。

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