2006/3/10 金曜日

3月10日(金)/曇り・雨

カテゴリー: 未分類 — zen @ 0:46:47

春が近づいたかと思うと翌日は遠ざかり、冬のような寒さを呈します。正に三寒四温を日々体感します。特に今日の寒さは格別のようです。しかも、昨夜から、持病の胆嚢炎の予兆で眠ることが出来ず、今日の気象の厳しさが身に応えます。
とはいえ、春は目の前。もうすぐ桜の花便りも聞こえてくることでしょう。もうちょっとの辛抱ですね。
昨夜(3月8日)8時から、フジテレビで、1986年に起きた伊豆大島の三原山噴火と全島民避難のセミドキュメンタリー番組がありました。振り返ると、早くも20年の歳月が流れていました。そして、何とも切ない想い出が湧き返ってきました。
あの頃は、私は鎌倉に住んでいました。11月15日、噴火の報道を聞いて海岸へ行って見ました。真っ暗な水平線に、空を赤く染めて噴火の様子が遠望できま した。あァ~、これは大変なことになったと感じましたが、それでもまだ逼迫した状況ではありませんでした。日が経つにつれ、溶岩が三原山の噴火口内輪山を 越え、外輪山が危機的状態になりつつあると耳に入ってきました。
当時、私はヨットにどっぷり浸かったような生活をしており、折があれば大島へ出掛けていました。三浦半島先端のシーボニアから、潮と風がよければ4時間で行ける距離です。もっとも、条件が悪ければ10時かかかることもありました。
私の気持の中には、大島には一方ならずお世話になっているという恩義の想いと、何度も訪れた親近感がありました。ですから、こんな時、何か恩返しは出来ないものかと考えていました。
そうこうする内、三原山山腹(外輪山の外側)に割れ目噴火が発生したというニュースが流れました。そして、全島民11000人の緊急避難が決定しました。
空港は火山弾や地震による滑走路の亀裂などで使用不能です。離島としての脱出手段は船以外にありません。
早速、定期運行の船舶や海上保安庁の巡視船が大島へ急行することになりました。
話は、ひと時三原山噴火と離れます。
1940年、第二次世界大戦のさ中、ドイツ機甲師団に退路を絶たれ包囲された連合軍兵士20万人が、何の防護障壁もないダンケルクの海岸に孤立し、全滅か降伏の岐路に立たされていました。
目の前で兵士が斃れ、救援の船舶がメッサーシュミットの爆撃に撃沈されてゆきます。もはや、海岸に救助を待つ兵士20万人は絶望かと思われた時、イギリスの首相であるチャーチルがラジオを通じ国民に懇請のメッセージを報じます。
ご存知の方も多いと思いますが、チャーチルは自らもヨットに親しむシーマンです。歴代の首相で最も有名なのはヒース氏で、世界一過酷といわれるヨットレー スのアドミラルカップに二度に亘り優勝しています。つまり、本物の海洋国イギリスのリーダーたちは、海が何たるかを知ってるということです。
サー・チャーチルは、国民に向けて叫びます。以下、既存の文章を引用させてもらいます。
『“いま、連合軍20万兵士が、ダンケルクの海浜で救出を待っている。大小は問わぬ。如何なる船でもいい。船を持っている国民は、英仏海峡を渡ってダンケルクに赴き、一人でも多くの将兵を英本土に連れ帰ってもらいたい。”
この放送を耳にした英国ドーバー海峡、北海沿岸のヨット・ボートのオーナー達は、先を争って英仏海峡を渡り、漁船、貨物船、タグボートの群れや、正規の救 出部隊の軍艦、輸送船等の間に混じり、あるものは岸に近づけぬ大型船と砂浜の間の艀(はしけ)の役を務め、また、あるものは兵員を満載してドーバー海峡を 往復し、跳梁する独機の妨害によって多くの犠牲を出しながら、実に338,226名の英仏軍将兵を英本土に連れ帰った。人呼んで「ダンケルクの奇蹟」とい う。』(田邉英蔵著・「往年の名画」・舵海洋文庫「キャビン夜話」より)
私は、かつてこの文章を読んで感動したものです。そう、ヨットマンと海との関わりとは、こういうものであるはずだと思いました。
また話が脇に外れますが、世界の国々の船舶の船籍国表示はエンサインという国旗で表され、軍艦、商工業船、プレジャー船によって旗の色が異なります。軍艦 は白(ホワイト・エンサイン)、商工業船は赤、プレジャー船は青です。しかし、イギリスの特定ヨットクラブに所属するヨットは、プレジャー船のブルーエン サイン(青)ではなく、軍艦のホワイト・エンサインを掲げることが許されています。そして、海上では、軍艦は最大の敬意を表される存在なのです。前掲のダ ンケルクの史実は、イギリスに於けるヨットの地位を如実に物語っていると思います。
さて、話は大島に戻ります。
山腹の割れ目噴火が報じられ、元町港が危ないといわれだし、元町に集まった避難者を波浮へバスで移送しだしたことを知った私は、何人かの仲間と諮ってマリーナに集まりました。まず、何処の港へ行くべきか?私たちにどんなお役に立てるかと考え、保安庁に電話をしてみました。
「いつもお世話になっている大島の窮状に、少しでもお役に立ちたいと思います。何艘かのヨットが駆けつけたいのですが、何処でどういう役目が果たせます か?」と尋ねました。保安庁の電話は、周囲の慌しさを受話器を通して伝えていました。そして、電話口の係官が「物見遊山でお前たちヨット乗りが行く所じゃ ない!野次馬根性で、救助の邪魔をしたら承知しないぞ!」と叫ぶように怒鳴りました。
振り返れば、20年前のあの頃、ヨットと巡視船・漁船とは犬猿の仲でした。兎に角、ヨットと見ると巡視船が接舷して船籍票や役にも立たない小型船舶の免許 証の提示を求められたものです。漁船は、私たちの税金で作ったガラ空きの港にヨットが入港することを頑強に拒み、港外で大きなうねりに翻弄されて夜を明か したことが何度もありました。そんな時代ですから、保安庁の係官にシーマンシップを理解せよというのも無理な話だったかも知れません。
しかし、昨夜、伊豆大島噴火のセミドキュメントの番組を見て、ほろ苦い想い出が湧き上がってきました。もう、20年もの大昔の想い出です。

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