2005/9/3 土曜日

9月3日(土)/ 晴・残暑32℃

カテゴリー: 未分類 — zen @ 0:49:37

特別嗅覚が鋭い訳でもないのに、僕は匂いにはとてもこだわりがある。
作品の『癌』にも書いたけど、僕は若い頃、実際に肺結核で3年間も療養生活を送った。その中で、隣のベッドの匂坂君と、結核病棟には固有の匂いがあることを発見した。僕らは、病気にはそれぞれ固有の匂いがあるという仮説を立て、いろんな病棟を彷徨い歩き、いくつかの事例でそれを立証したりして病院生活の無聊を慰めていた。
勿論、科学的に検証した理論ではないから、アカデミックな性格のものではない。しかし、病気固有の匂いというかなり個人的な感覚(嗅覚)に負うこの理論には、匂坂も僕も、何か確信みたいなものを感じていたことは確かだ。
小説の中では、主人公が癌で入院中の叔父を見舞い、その折感じた特別な匂いを癌固有のものと記憶する。そして或る日、自らの口臭にそれと同種の匂いを感じ、自分が癌に冒されていることを納得するという筋書きになっている。
凡そ、自我というものにしかるべき拘りをもつ人が、いちばん関心を払う匂いは自らの体臭ではないだろうか。
僕が若かった頃、自らの人生の美学として極めて強く意識したものにダンディズムとでもいうべきものがある。例えば、「仕事とは、生きるための手段の一つに過ぎない。だから、夢を犠牲にしてまでやり遂げるべき仕事というものは存在しない」などという独善的な信念の総称だ。そうした美学の対極にあるものが不快な体臭だった。
病気固有の匂いの他に、随分昔から、僕は老人固有の匂いというものを強く意識していた。その匂いは、言葉として当然「老臭」というと僕は思い込んでいた。しかし、或る時、それを話題にして「老臭」という言葉をいったら、その人はそんな言葉は聞いたことがないという。僕はその時はじめて広辞苑を引いてみた。成る程、辞書に「老臭」という言葉はなかった。でも、そういう臭気が存在しているのに、それを言い表す言葉がないなんておかしいじゃないか!そんな憤懣をもらしていたら、最近になって、差別語的な配慮で、年寄りに遠慮した「加齢臭」という言葉がお目見えした。
僕は結構多くの文学作品を読んでいるが、老人固有の臭気について書かれたものはほとんどない。僅かに、辻仁成の「ピアニシモ」(スバル文学賞作品)に、かなり陰惨な表現で死臭と同列視して書かれているのが見える程度だ。
凡そ体臭とは、自分では気づかないものだ。身近に、それを告げてくれる人が居なくては自分では分からない。
男女に関係なく老人の皮膚にはノネナールという不飽和アルデヒド(脂肪酸)が分泌する。それが分解し、さらに、体内に活性酸素が発生して悪臭のガスを生成し、青臭さと使い古した油の匂いが入り混ざった加齢臭になるのだそうだ。
確かに、辻仁成の記述ではないが、「加齢臭」は、個人差はあるものの、かなり不快な臭気であることは確かだ。極端なケースでは、カメムシに刺激を与えた時に発する臭気に匹敵するという実験例もあるそうだ。それにもかかわらず、本人が気づかないのだから事態は深刻だ。
他人では抵抗があろうから、配偶者や身内や、或いは掛かりつけの医師などが、遠慮せず明確に本人に忠告することが必要ではないだろうか。僕のパートナーは、日々の僕の体臭について適切な感想と助言をしてくれる。勿論、彼女の体臭で気づいたことがあれば、僕も率直に感想をいう。
そしてまた、その臭気に対処した医学的処置というものを、社会がもう少し真剣に考えてみてはどんなものだろう。健康面の悪影響や、他人に被害をもたらすというものではないとはいえ、人には尊厳を保って生きる権利がある。
当然のことながら、僕も真剣に加齢臭対策に取り組んでいる。サプリメントや専用の石鹸、シャンプーなども市販されているが、しかし、それらを常用するにはかなりの経済的負担を覚悟しなくてはならない。
老いてなお維持されるべき人生のダンディズムというものがある。若い頃のそれとは随分様変わりしてきてはいるが、せめて自らの生き様に自信をもって生き、高齢といわれる今を人生のハイライトとしたいものと意気込んでいる。

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