2005/8/14 日曜日

8月14日(日)/晴・32℃

カテゴリー: 未分類 — zen @ 21:48:43

今年の夏空は、なぜかすっきりと青く晴れ上がりません。まあ、気象学的にいえば相応の理屈はつきますが、いつも薄雲に包まれた曖昧な夏空なんです。ですから、私の心のどこかで、まだ本当の夏が訪れてはいないという感じがするのです。
明日は終戦記念日ですが、昭和20年のあの日は、抜けるように蒼い空が放心したような私たちの頭上に在ったと記憶しています。誰もが、兎に角暑い日だったといいます。林房雄はあの日を「この夏は かぼちゃまろけの 暑さかな」と詠んでいます。かぼちゃが赤土の焦土に転がっている様子は、なぜか無気力で退廃的で、しかも限りない寂しさを感じさせます。それを、造語でしょうがかぼちゃに「まろけ」という言葉を繋いで表現しています。表現という人為的な行為ではないかも知れません。思わず吐き出した言葉、口からではなく心からこぼれ落ちた言葉・・・そんな感じもします。

ここは善行団地といって、かつての住宅公団が建て、運営してきた巨大な高層住宅群の街です。高齢者の急増という世相を反映して、1,2階の空き家は高齢者用にリフォームし、高優賃住宅として一般に貸し出しています。はじめ「高優賃」という表現は高級で優良な賃貸住宅かと思いましたが、高齢者優遇賃貸住宅という高齢者福祉事業の短縮語でした。
昨日から、一階角部屋の私の部屋の窓下をおじいさんと孫の組み合わせが頻繁に行き交います。
思い巡らすまでもなく、いま正にお盆なんですね。年寄りの家になら孫を連れた子供たちが押しかけています。或いは、祖父母が子や孫を訪問するというケースもみられます。
窓の下を通る一行は、今夜ベランダで行う花火のことや、家に帰って作るカキ氷の話、棟ごとを隔てる広い芝生での虫取りの話、学校のプールで端から端まで泳げるようになった話など、如何にも夏の年寄りと孫の、久しく会った懐かしさと甘えが滲み出た会話でなんです。僕は、散歩の後、冷たいシャワーを浴び、ベッドで転寝をしながら通り過ぎる子供らと年寄りの話を聞いています。あゝ、いいもんだなァ~。お盆というのは、亡くなった身内の魂を招いて共に過ごす数日間というけれど、実は、忙しさに紛れて疎遠になりがちな身内を呼び集める日本ならではの知恵なんだなァ~と気づきました。
話は飛躍しますが、私が何年間も航海を続けながら考え抜き、心の底にドスンと納まったいくつかの想いの中の一つが、「人間は一人じゃ生きられない」ということがあります。「生きられない」というのは、生きているのは一人の力ではないという意味も含みます。勿論、ストイックに苦行のような生き方を通すというなら話が違いますが、目線を前方やや高い所において、充実した人生に満足し、さらに幸福を追求して楽しく生きようとするなら、一人ではどうしても行き詰まりを来たします。詳論は避けますが、「人間は一人じゃ生きられない」という考えは、自らを極限状態に置きなが自らを直視し、ある種の悟りのように心に納まってきた結論です。
日本古来の知恵を暦に折り込んだ先人の英知は、先祖の魂を招くという大義でお盆をしつらえ、現世に生きる人々の出会いや再会の場を演出している訳です。夕暮れが訪れ、高層集合住宅のエントランスでも、チラチラと迎え火が燃えています。こんな情景も、私が夏という季節が大好きな理由の一つかも知れません。

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