2005/4/28 木曜日

4月28日(木)/快晴・29℃・南西の強風

カテゴリー: 未分類 — zen @ 17:03:14

いつの間にか、お花見の季節も過ぎました。
桜の時期は、いろんな花が押し寄せるように一度に咲き乱れ、目を奪われているうちに初夏の季節がやって来ます。そして、気がつけばもうゴールデン・ウイークが目の前です。
三浦半島は5月に入ると夏です。少なくとも、ヨットに関わっていた頃は、夏への憧憬も手伝って、シーボニアに集まってくるヨッティーたちの意識はGWは夏と思い込んでいました。まだ、ほんの少し肌寒さを感じながらも短パンにTシャツに着替え、コックピットでは夏を楽しむ演出に酔ったものです。
GWといえば、僕らは必ず大島をはじめ伊豆七島へクルーズに出掛けました。
最近はどうか知りませんが、その頃はどこから集まってくるのか、波浮の港はヨットであふれていました。波浮から式根や新島へ行ったり、さらに下田を回ったりして、無理に繋げた連休いっぱいを心行くまで楽しんだものです。
しかし、帰りが大変でした。ほとんどの帰港のレグはメイストームが待ち伏せていて、派手なスプレーが折からの夏の太陽に熱せられて自家製の塩になり、顔といわず髪の毛といわず、全身が真っ白になって帰って来たものです。それがまた、ホームポートに着いてからの話の種。フィッシャーマンズトーク(釣った魚自慢、転じてホラ話)がそれぞれのヨットの間で華やかでした・・・波高が5、6メートルもあって、スプレーがマストの天辺まで覆ったとか、ストームのさ中、スピンネーカーを揚げたら20ノットでプレーニングしたとか・・・。いやはや、何とも天真爛漫で楽しい時代でした。
一週間から10日間も外洋にいると、帰港してからの船の手入れが大変です。大方の同乗者は、長期間家を空けた自責からか、家路が遠いとか急ぎの用件があるとかの事由で早々に帰ってしまい、後は僕の仕事です。僕は、家も遠くなく、火急の用件もなく、家を留守にして自責の念にかられる家族も居ません。
とはいえ、船の楽しみは、何もセーリングだけではありません。塩が硬くこびりついたヨット全体を丹念に水洗いして、ウインチなどは分解してグリースを塗り替え、セールやシートの塩出しなんかすることだってヨットならではの楽しみなのです。
30フィートほどの小さなヨットでも、いざ全体を洗うとなると、車を洗うことと比べてそれはそれは大きなものです。でも、全ての手入れが終わって、まるで風呂上りの女のような、さっぱりと艶やかな愛艇の姿を眺める満足感は、それを味わうことなく家路を急いだ友人たちに申し訳なく思うほどです。
そして、いつも思うことは、僕がヨットを始めて間もない頃、心を込めてヨットの手入れをすると、次のセーリングからヨットが僕の思い通りに動いてくれたという経験です。これは、どういうカラクリかは未だに分かりませんが、何だか、ヨットと心を通わせたような実感があったと体感しています。
先日、油壺ヨット・サービスのオーナーのOKKOさんが、ご自分のHP(http://www.aburatsubo.com/)で「ヨットは道具か伴侶か」というテーマのエッセーを書いておられ、非常に興味深く拝読しました。
僕の感想をいうと、ヨットは正に道具であり、そして伴侶です。いい加減な感想に聞こえるかも知れませんが、7年間、世界の海を放浪しながら得た感想なのです。詳しく説明いたしましょう。
航海中の付き合いは、99%が世界の海を又に掛けて航海を楽しむ西洋人のヨッティーたちです。いつの間にか僕も彼らと同じ目線で物事を見、そして考えるようになっていました。その僕が感じるのは、西洋人は、道具としての船と擬人化した船の両性を矛盾のままに、割り切って心に収めているということです。性能について語る時は純粋に道具として、そして、航海そのものを語る時はかけがえのない伴侶として慈しみの眼差しを向けます。日本人は、極めて感傷的で情緒的な人種ですから、その矛盾が我慢ならず、どちらかでなくては納得がいきません。だから両極端の伝説やゴシップが生まれるのでしょう。
本当の修羅場に差し掛かって、船に対して道具を超えた信頼感がなかったら、多分、非常に危険です。パートナーシップとでもいうのでしょうか、極度の大時化のさ中で、僕は、「この部分はヨットがやってくれる。これは僕がやらなくてはいけない部分」といった荒天作業の分担の意識がありましたし、前にも述べたように、「可愛がった分、船は僕のいうことを聞いてくれる」という信頼を超えた連帯感もあるのです。そうやって僕は、いくつかの修羅場を潜り抜けてきました。
擬人化というのは、道具である船の性能・能力への信頼にはじまり、さらに信頼に応えてくれたことに対する感謝と愛着を積み上げてゆく過程に生まれてくるものです。それが歳月を経て揺るぎないものになった時、他から見ても船と人が似合いの夫婦のように調和して見えることがあるのだと思います。船の優れた性能に驚き、よく凌いでくれたという感謝になり、その繰り返しが信頼と愛着になってゆく過程こそは、その人固有のヨットライフの歴史であり、歴史を豊かにしてくれる本質です。
何年間も同じヨットを乗り続け、あちこち改造したり工夫を凝らしたり試行錯誤を繰り返しながら理想のヨットに仕上げていってこそ、そうした擬人化体験も生まれるというものです。最近の傾向は、○○キロ走ったからといって車を乗り換えるように新しいヨットを手に入れる人が多いようですが、僕は、それで本当に海のロマンが体感出来るのだろうかと首を傾げてしまいます。
さあ、誰もが海に憧れる季節です。豊富な経験を静に内に秘めたオーナーに、遥かな外洋へ連れて行ってもらって下さい。きっと、目からウロコの体験が出来ると思いますよ。

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