2004/7/30 金曜日

7月30日(金) 雷雨・曇・晴・強風

カテゴリー: 未分類 — zen @ 5:02:20

関東南海上に台風10号があり、現在、八丈島の南南西100海里に停滞中とのことで
す。
でも、この台風、小笠原諸島を暴風域に巻き込みながら北上し、八丈島の南、青島付近に差し掛かった辺りから針路を西に変えました。
極めて一般的に台風を概説すれば、カロリン諸島やマリアナ諸島などの南方海上に台風の卵が発生し、太平洋の温かく湿った空気を取り込みながら成長し台風になります。そして、低緯度の太平洋上を西、または北西に進み、中国大陸の手前、台湾辺りを転向点として急に針路を北東に向け、日本列島に沿って北方海上へと進みます。
そういう常識からみれば、優勢な太平洋高気圧が日本列島を覆っているからとはいえ、今回の10号台風の西進はセオリーに反する珍しいケースといえます。
但し、日本近辺を西へ移動した台風は前例がない訳ではなく、観測史上4回目という
ことですが、一年間に10〜20も襲来することを考えれば、本当に稀なことということがお分かり頂けると思います。
前のお便りでも述べましたが、気象は確実におかしくなってきました。特に、洋上を永い間航海していると、それがひしひしと感じられます。
先年、世界一周を達成したヨット『希望号』(Hope-2)の藤村氏は、舵誌の対談で、堀江謙一氏の“近い将来、もう一度航海に出掛けますか?”という問に、『当分は出掛けません。何故なら、いま地球全体の気象がおかしくなってきていますから』と答えています。これは、航海経験者の共通した感想だと思います。
局地的に日本だけを例にとっても、今年の異常気象は枚挙に暇がありません。
ここ数日の異常気温や記録的な豪雨と水害もその一例です。異常な高温は都会の高層化によるウオール現象と説明していますが、それだけではないでしょう。実際、高層化とは無縁の地方でも40℃を越えた日があったことは記憶に新しいところです。
こうしたことが、いま世界中で起こっているのです。
南極の氷がとけて海面が上昇し、国土が水位以下になって住む所を失っているという国があちこちに発生していますし、かつて例を見ない程の規模の山火事で四国に匹敵する程の広大な山林が灰に帰したというニュースを頻繁に目にします。或いは、想像を超える竜巻や旱魃、さらに未曾有の洪水などなど・・・。
私がニュージーランドにヨットを泊めて半年間あちこちを旅行した折、NZの南島のフォックス・グレィシャー(氷河)で見たそれは驚くべきものでした。何と、氷河の下端が1km近くも後退し、山頂から一日に氷河が流れ下る量が、かつては15〜30cmだったのが、現在は1mも下降しているというのです。10年前の写真に比べて氷は薄汚れ、しかも氷河が山腹まで後退して醜く山肌が露出している様は、何か、犯すべからざる過ちを人類が犯してしまったゆるぎない証を見た気がしたものです。
全てとは云わぬまでも、こうしたことが私には人災と思えてなりません。
私がこんな所でぼやいても詮無いことかも知れませんが、そろそろこの辺で無節操な産業や科学の発展にブレーキをかけ、間に合うものなら損なったものを復元するという叡智に目覚めることが重要ではないでしょうか。

話題は変わりますが、有名な女性海洋冒険家・今給黎教子さん(通称、きゅうり)が、いま、セーリング・カヌーで単独日本縦断中です。
彼女は、昨年、鹿児島から静岡県清水までを踏破し、今年は清水から北海道までを縦走中です。そして昨日29日、遂に荒ぶる津軽海峡を青森の大間から横断して函館の恵山に到達しました。
全長4メートル、重量30kgの普通のセーリング・カヌーで、海流が時に6、7ノットという激流の海峡をサポート艇もなく一人っきりで乗り切ることは、若しかすると太平洋を横断するよりも、はるかに決死的な冒険といえます。
大間のヨット関係者が述べるところでは、スナイプ(カヌーよりはるかに堅牢なオープンデッキの小型ヨット)で津軽海峡を横断しようと試みた人が、何度もバウチン(舳先から海中に突っ込んで転覆すること)を喰らって遂に断念したそうです。風に煽られて横倒しになるチン(転覆)ならディンギーにはよくあることですが、バウチンとは、海況が既に艇の耐航性能を超えているということです。そんな海峡をカヌーで渡るということを思うと、彼女が海に傾ける情熱はもう私などには想像もつかないほど雄大なものといえます。或いは、海が好きという情緒的な感性を遥かに超えて、それは、今給黎教子の海に向けた情念といっても過言ではないでしょう。
兎に角、北海道のカヌー航海は始まったばかりです。事故なく目標を達成されることを切に願っています。
なお、彼女のホームページに情報や応援メッセージのページがあります。興味のある方はアクセスし、声援を送ってください。http://www.kairen.jp

2004/7/4 日曜日

7月4日(日) 快晴・30℃

カテゴリー: 未分類 — zen @ 19:22:23

暑い日々が続いています。まるで、梅雨を飛び越えて真夏が来てしまったようです。
若し、本当にそうならうれしいですけど、やはり、それでは困る人もいるのでしょう
ね。水不足が原因で生活基盤のあらゆる部分に不自由を来たしたり、農作物が旱魃の
被害を受けたりということもありますから。
それにしても、今年は台風が多発したり、静岡市では超局地的な豪雨で洪水が発生し
たり、梅雨に雨が降らなかったり……。昨年は、ヨーロッパ各地で洪水があり、かた
やアメリカでは竜巻や旱魃で大きな被害を蒙っています。今年はアジア、そして日本
なんてことにならなきゃいいのですが。
どうも、地球全体が狂ってしまったようです。もう、昔のように、暦どおりの穏やか
な四季は望めないのでしょうか。

さて、作品のページに『或る夜、イルカが…』を掲載いたしました。
この作品は、『その先の海』の文中に挟み込まれた短編として、既にお読みの方もい
らっしゃるとは思います。しかし、この作品を書いた時点では、別に航海記の挿入話
として書き上げた訳ではなく、あくまでも独立した作品として扱いたいと思い掲載し
た次第です。
読者の皆様から、「何故、航海記にフィクションの短編を挟むのか?」と訊ねられま
す。そのことについて、少し説明いたします。
『或る時、イルカが…』は、どうみても純粋にファンタジー小説です。つまり、架空
のお話で、普通、現実にこんなことは起きません。
しかし、何日も何日も誰とも言葉を交わさず、何日も何日も海ばかり見て旅を続けて
いると、私というものが大自然にすっかり同化してしまって、船腹に砕ける波飛沫や、
目の前を過ぎるトビウオや、マストの天辺にとまろうと休まずトライし続ける信天翁
(アホウドリ)も、何もかもが自分と等価で同質のものと思えてきます。
そういう時、私は何の疑いもなく、この大自然のあらゆるものと意思が通じ合える存
在と感じられるのです。ですから、私は、トビウオにも天信翁にも、そして海自体に
も本気で話しかけていました。
ドキュメンタリーとして事実を述べる航海記とは別に、そういう平和で何の煩いもな
い自由な心を物語に綴ったのがこの『或る夜、イルカが…』をはじめ、いくつかの短
編小説なのです。

話は変わりますが、海との関わりが私の存在理由と思っていた私の心から、少しずつ
海が乾いてきています。海が乾くとはおかしな表現ですが、海こそが存在理由という
ことは、言葉を変えれば海は私の生命力ということです。
海は生命の源とはよく聞く言葉です。生物学的に疑いもない事実ですが、私にとって
海は、私の内面を構築する土台、或いは太い柱でもあるのです。その土台や柱が脆弱
さを露呈し出したことは、老齢という事実とは無関係に、私にとって由々しき問題で
す。
『その先の海』の冒頭にも書きましたが、私の人生のあらゆる場面、その視界の片隅
には常に海がありました。しかし今、湘南とは名ばかり、藤沢とはいえ日常に海があ
りません。
かつて、目の下に葉山の海、相模の海、遠く望めば伊豆大島までを見はるかす葉山の
高台に住まい、世界の海を旅する夢を育みました。やはり私は、海が目の前に拓けた
所に住み、海から命を頂いて生きなくてはいけないなァと考えています。

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