2004/7/4 日曜日

7月4日(日) 快晴・30℃

カテゴリー: 未分類 — zen @ 19:22:23

暑い日々が続いています。まるで、梅雨を飛び越えて真夏が来てしまったようです。
若し、本当にそうならうれしいですけど、やはり、それでは困る人もいるのでしょう
ね。水不足が原因で生活基盤のあらゆる部分に不自由を来たしたり、農作物が旱魃の
被害を受けたりということもありますから。
それにしても、今年は台風が多発したり、静岡市では超局地的な豪雨で洪水が発生し
たり、梅雨に雨が降らなかったり……。昨年は、ヨーロッパ各地で洪水があり、かた
やアメリカでは竜巻や旱魃で大きな被害を蒙っています。今年はアジア、そして日本
なんてことにならなきゃいいのですが。
どうも、地球全体が狂ってしまったようです。もう、昔のように、暦どおりの穏やか
な四季は望めないのでしょうか。

さて、作品のページに『或る夜、イルカが…』を掲載いたしました。
この作品は、『その先の海』の文中に挟み込まれた短編として、既にお読みの方もい
らっしゃるとは思います。しかし、この作品を書いた時点では、別に航海記の挿入話
として書き上げた訳ではなく、あくまでも独立した作品として扱いたいと思い掲載し
た次第です。
読者の皆様から、「何故、航海記にフィクションの短編を挟むのか?」と訊ねられま
す。そのことについて、少し説明いたします。
『或る時、イルカが…』は、どうみても純粋にファンタジー小説です。つまり、架空
のお話で、普通、現実にこんなことは起きません。
しかし、何日も何日も誰とも言葉を交わさず、何日も何日も海ばかり見て旅を続けて
いると、私というものが大自然にすっかり同化してしまって、船腹に砕ける波飛沫や、
目の前を過ぎるトビウオや、マストの天辺にとまろうと休まずトライし続ける信天翁
(アホウドリ)も、何もかもが自分と等価で同質のものと思えてきます。
そういう時、私は何の疑いもなく、この大自然のあらゆるものと意思が通じ合える存
在と感じられるのです。ですから、私は、トビウオにも天信翁にも、そして海自体に
も本気で話しかけていました。
ドキュメンタリーとして事実を述べる航海記とは別に、そういう平和で何の煩いもな
い自由な心を物語に綴ったのがこの『或る夜、イルカが…』をはじめ、いくつかの短
編小説なのです。

話は変わりますが、海との関わりが私の存在理由と思っていた私の心から、少しずつ
海が乾いてきています。海が乾くとはおかしな表現ですが、海こそが存在理由という
ことは、言葉を変えれば海は私の生命力ということです。
海は生命の源とはよく聞く言葉です。生物学的に疑いもない事実ですが、私にとって
海は、私の内面を構築する土台、或いは太い柱でもあるのです。その土台や柱が脆弱
さを露呈し出したことは、老齢という事実とは無関係に、私にとって由々しき問題で
す。
『その先の海』の冒頭にも書きましたが、私の人生のあらゆる場面、その視界の片隅
には常に海がありました。しかし今、湘南とは名ばかり、藤沢とはいえ日常に海があ
りません。
かつて、目の下に葉山の海、相模の海、遠く望めば伊豆大島までを見はるかす葉山の
高台に住まい、世界の海を旅する夢を育みました。やはり私は、海が目の前に拓けた
所に住み、海から命を頂いて生きなくてはいけないなァと考えています。

© Copyright 2012 Zen T. Nishikubo. All rights reserved.