1月27日(木)/曇時々晴れ
皆さんは「MIYA」というヨットをご記憶でしょうか?
新聞等で大きく報道されたのでご存知の方も多いと思いますが、ご存じない方のために概略を書いておきましょう。
「MIYA」のオーナーは畑下さんといって、日本からアメリカのサンディエゴに移り、米国籍を取得した81歳の日系アメリカ人です。
先年、奥様が異国の地でお亡くなりになり、畑下さんは故郷の長野のお墓に埋葬して上げようと決意します。畑下さんは奥さんの遺骨をヨットに積み、サンディエゴを出航しました。そして、南太平洋の島々をめぐり、ハワイを経て日本へやって来ました。
ところが、八丈島を過ぎ、もうすぐ本土に手が届こうという御蔵島の沖で漁船と衝突し、ヨットは大破、畑下さんは重症の怪我を負いました。
一方、日本で畑下さんの到着を待っていたお友達は、なかなか到着しないことを心配して今給黎教子さんのサイトに「MIYAというヨットを見掛けませんでしたか?」と書き込みをしました。これがそもそもの始まりでした。
早速、各方面で捜索や情報収集が行われ、やがて、御蔵島で怪我の治療をしている畑下さんを発見しました。そして、お友達が御蔵に飛び、畑下さんが清水港へ行きたがっていることが分かりました。
清水のヨットマンの内海さんらの尽力で、下田海上保安庁や御蔵島の漁船の協力を得て「MIYA」は清水港に到着しました。その後、畑下さんは清水市民病院に入院、ヨットは基本的な修理が行われました。しかし、設備の関係で、倒壊したマストや細部の修理は出来ません。そこで、油壺に近いシーボニアへ再度回航することになったのです。一方、畑下さんは数日前、退院しましたが、現在はまだ独力で歩くことは出来ません。
畑下さんは、船が三崎へ行くなら、自分も船の傍に居たいといいます。ヨットマンとしては当然の要望です。
それで、ヨットは29日頃、業者の手で回航されます。また、畑下さんは2月4日、今給黎さんの車で三崎へ移って来ます。
しかし、前にも書いたとおり、歩行も難しい畑下さんが三崎で暮らして行くには、清水で内海さんらがして下さったように誰かがお世話しなくてはなりません。宿をどうするか、傷の治療やリハビリはどうするか、その通院はどうするか、さらに日常のサポートは?
問題は山積です。当然のことながら、あらゆるサポートはボランティアで行われます。
現在、今給黎さんが中心になって、志のある方々に呼びかけていますが前途は多難です。
私はかつて、海外の港で言葉に尽くせないほどの善意のサポートを受けました。どうして肉親でもない方が、これ程の厚意を示してくれるのか理解できませんでした。何かでお返ししたいと考えましたが、常識的に品物を贈って返せるという種類の厚意ではありません。ややもすると、そんなことをしては却って厚意に無礼で報いることになりかねません。恩を仇で返すということです。
やがて気がついたことは、この感謝の気持を、私の行動でサポートを必要とする次の誰かに廻すということです。こうした感謝の行為を繋いで世界に善意の輪を作る・・・なるほど、これがホスピタリティーの本当の意味なんだと悟りました。
だから、三崎近辺の有志の方々と共に、私は、可能な限り畑下さんをお世話し支えてゆくことを決意しました。今こそ、私が受けたご恩をお返しする絶好の機会が訪れたのです。やっと巡って来たこのチャンスを、私はいま喜んで受け止めています。
この活動に興味のある方、自分にも何か出来るかも知れないという方は、今給黎さんのサイトhttp://www.kairen.jp/を覗いてみて下さい。いろんな情報がぎっしり詰まっています。