2005/1/28 金曜日

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1月27日(木)/曇時々晴れ

皆さんは「MIYA」というヨットをご記憶でしょうか?
新聞等で大きく報道されたのでご存知の方も多いと思いますが、ご存じない方のために概略を書いておきましょう。
「MIYA」のオーナーは畑下さんといって、日本からアメリカのサンディエゴに移り、米国籍を取得した81歳の日系アメリカ人です。
先年、奥様が異国の地でお亡くなりになり、畑下さんは故郷の長野のお墓に埋葬して上げようと決意します。畑下さんは奥さんの遺骨をヨットに積み、サンディエゴを出航しました。そして、南太平洋の島々をめぐり、ハワイを経て日本へやって来ました。
ところが、八丈島を過ぎ、もうすぐ本土に手が届こうという御蔵島の沖で漁船と衝突し、ヨットは大破、畑下さんは重症の怪我を負いました。
一方、日本で畑下さんの到着を待っていたお友達は、なかなか到着しないことを心配して今給黎教子さんのサイトに「MIYAというヨットを見掛けませんでしたか?」と書き込みをしました。これがそもそもの始まりでした。
早速、各方面で捜索や情報収集が行われ、やがて、御蔵島で怪我の治療をしている畑下さんを発見しました。そして、お友達が御蔵に飛び、畑下さんが清水港へ行きたがっていることが分かりました。
清水のヨットマンの内海さんらの尽力で、下田海上保安庁や御蔵島の漁船の協力を得て「MIYA」は清水港に到着しました。その後、畑下さんは清水市民病院に入院、ヨットは基本的な修理が行われました。しかし、設備の関係で、倒壊したマストや細部の修理は出来ません。そこで、油壺に近いシーボニアへ再度回航することになったのです。一方、畑下さんは数日前、退院しましたが、現在はまだ独力で歩くことは出来ません。
畑下さんは、船が三崎へ行くなら、自分も船の傍に居たいといいます。ヨットマンとしては当然の要望です。
それで、ヨットは29日頃、業者の手で回航されます。また、畑下さんは2月4日、今給黎さんの車で三崎へ移って来ます。
しかし、前にも書いたとおり、歩行も難しい畑下さんが三崎で暮らして行くには、清水で内海さんらがして下さったように誰かがお世話しなくてはなりません。宿をどうするか、傷の治療やリハビリはどうするか、その通院はどうするか、さらに日常のサポートは?
問題は山積です。当然のことながら、あらゆるサポートはボランティアで行われます。
現在、今給黎さんが中心になって、志のある方々に呼びかけていますが前途は多難です。
私はかつて、海外の港で言葉に尽くせないほどの善意のサポートを受けました。どうして肉親でもない方が、これ程の厚意を示してくれるのか理解できませんでした。何かでお返ししたいと考えましたが、常識的に品物を贈って返せるという種類の厚意ではありません。ややもすると、そんなことをしては却って厚意に無礼で報いることになりかねません。恩を仇で返すということです。
やがて気がついたことは、この感謝の気持を、私の行動でサポートを必要とする次の誰かに廻すということです。こうした感謝の行為を繋いで世界に善意の輪を作る・・・なるほど、これがホスピタリティーの本当の意味なんだと悟りました。
だから、三崎近辺の有志の方々と共に、私は、可能な限り畑下さんをお世話し支えてゆくことを決意しました。今こそ、私が受けたご恩をお返しする絶好の機会が訪れたのです。やっと巡って来たこのチャンスを、私はいま喜んで受け止めています。
この活動に興味のある方、自分にも何か出来るかも知れないという方は、今給黎さんのサイトhttp://www.kairen.jp/を覗いてみて下さい。いろんな情報がぎっしり詰まっています。

2005/1/13 木曜日

カテゴリー: 未分類 — zen @ 1:36:25

1月12日(水)/晴

新聞にも載ったそうですが、堀江謙一氏が今日ケープ・ホーンを越えました。私は新聞などというものをとっていないので、記事や写真は見ていませんが、これは確かにビッグ・ニュースです。
ケープ・ホーンは世界一過酷な海です。
南アメリカ大陸が南緯57度近くまで張り出し、更に南には細長い南極半島が北に張り出しています。両大陸間は海嶺が繋がっていて海底の地形が複雑で、さらに水深が浅いため、南極海流がこの海域(ドレーク海峡)で危険な変則波をつくります。しかも、ほとんどいつも台風並みの低気圧が次々と襲来して、海は地獄の様相を呈してヨットを苦しめます。
ですから、船乗りはケープ・ホーンを魔の海と恐れ、これを越えたセーラーには「ケープ・ホナー」という特別の敬意を込めた称号が与えられます。
今回の堀江氏の場合は、チリ海軍が堀江氏とマーメード号を出迎えてホーン越えを証明するセレモニーを行ってくれました。
私といっしょに南太平洋を航海をしていた「エイプリル・フォース」というヨットの場合は、ホーン岬の灯台が彼らの岬越えを視認し、ケープ・ホナーの公式の証明書を発行したそうです。
余談になりますが、英国で(世界で)最も権威のあるヨットクラブ「ロイヤル・ヨット・スコードロン」では、メンバー以外誰であろうとクラブに立ち入ることを許しません。ただ、ワイト島祭りの日のみ、メンバーの奥方と令嬢がクラブハウスの芝生まで立ち入ることを許すといいます。それほど厳格なメンバーシップで権威を誇るこのクラブで、ケープ・ホナーは長靴を履いた足をテーブルの上に投げ出して酒を飲むことを許されたといいます。
勿論、これは昔話ではありますが、昔から、海の男が如何にケープ・ホナーの勇気を讃え尊敬を惜しまなかったかが分かります。
堀江氏は、これからは怒号する50度線(Furious Fiftieth)から少し北上して咆える40度線(Roaring Forties)を東へ進み、喜望峰を越えてオーストラリアの南・タスマニア島を目指します。その距離は凡そ9000海里、16500kmという気が遠くなるような距離です。
ちなみに、ケープ・ホーンとタスマニアの緯度・経度をGPSにインプットして航路設定して
距離を得ようとしたら、コンパスコース190度、4580海里と出ました。何と、さらに南下して南極大陸を横断すると約半分の距離でタスマニアに到達できると出ました。
一大陸を横断する2倍の距離の荒ぶる海をさらに進む・・・・その忍耐力と目的を見据えた意志力に、私は言葉を失います。只々、ご無事で!というばかりです。
堀江氏の航海の模様は、http://www.suntory-mermaid.com/で見ることが出来ますし、応援メッセージも送れます。一度、覗いてみて下さい。南極海の潮の香りがしますよ。

2005/1/4 火曜日

カテゴリー: 未分類 — zen @ 18:32:29

1月4日(火)/晴・南西の風やや強し

遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
それにしても昨年は災害の多い年でしたね。多くは望みませんが、せめて今年が例年並みの年であることを祈ります。
暮れに差し掛かって、災害が多い年だったといっている正にその時、スマトラ島沖地震・津波が発生しました。今年一年の災害は、このディザスターのための序章に過ぎなかったといわんばかりの大災害になりました。既に死者は12万人を超え、さらに増え続けているばかりか、数千人、もしくは数万人の行方不明者を残すことになりそうです。
ニュースの映像に、轅(ながえ)に繋がれ手綱を張り詰めて後足立つ荒馬のように、ヨットが錨索に舳先を縛められて翻弄される様が報じられ、私の神経を凍りつかせました。
先日来、永い間私と同航したヨット・シーマの安否が気掛かりでした。オーナーの松浦氏は、インド洋を未だ越えずプーケットに停泊していたのではなかったか?
野次馬風に彼の留守宅に問いかけるのも少々憚られていた矢先でしたが、あの映像を見てはもう躊躇していられません。私は北九州市の松浦氏宅に電話をしました。
電話に出られた奥様の声の明るさで無事を直感したとはいえ、私は、矢継ぎ早に彼の安否を問いました。松浦氏は、津波のその時、所用で内陸の街に出掛けていたそうで、幸運にも災害には遭わなかったそうです。とはいえ、ヨットは相当の被害を受けたことだろうと尋ねると、近辺にはマリーナが3箇所あって、2箇所は壊滅的な被害をこうむったのですが、シーマが停泊するマリーナはほとんど無傷だったそうです。唯一、松浦氏の隣の鋼鉄製のヨットが船腹を凹ませたのみとのことでした。
無差別テロにも増して何物をも飲み尽くす災害のさ中にあって、松浦氏に何の被害もなかったことに安堵し胸を撫で下ろしつつ、自然災害が砂上の楼閣の如き人間の営みを破壊し尽くす恐怖に、改めて肌に粟を生じたことでした。
インターナショナル・ヨッティーは、11月にオーストラリア北西岸のダーウィンを発ってバリに渡り、ジャワ海を北上してシンガポールに、さらにマラッカ海峡を更に北上して12月中旬にプーケットに至ります。そして、これからインド洋をアラビア半島へ渡る仲間と羽目を外したクリスマスを祝って、歳末から正月にかけてプーケットを出発するのがワールド・クルージングのセオリーです。
ですから、クリスマス直後に出発したヨットは、インド洋上で津波のやや大きなうねりを越えた程度で済んだのでしょうが、まだ出発しなかった多くのヨットがプーケット近辺にはいたはずで、それらのヨットがどうなったか?私は、そのことが気掛かりでなりません。
はるばるいくつもの大洋を越えてここに至り、何らかのアクシデントでその先の航海を諦めざるを得ない悔しさは、私自身が身を切り刻むような想いで味わい尽くした無念さです。さらに、私の心の内壁には、為すべくして為しえなかった航海の敗北や挫折の想いがトラウマという棘となって、未だに突き刺さったままです。
完全に航海を諦めざるを得ない人、修復すれば夢の続きに挑めると、必死に船を修理しつつモンスーン気象帯の次のシーズンを待つ人、このアクシデントで人生があらぬ方向に転換してしまう人・・・・・人それぞれに、この災害は様々な人生模様を描くことになります。そう思うと、この災害がもたらす悲惨が計り知れぬものとして私の胸に迫ります。
話は変わりますが、堀江謙一氏と斉藤実氏が、いまケープ・ホーンに接近中です。斉藤氏は、堀江氏の約1000海里西の後方にいて、連日極限の嵐に挑んでいます。斉藤氏の酒呑童子Ⅱは既に2度にわたってノックダウンを食らい、風向風速計が破損したとのことです。
面白いことに、僅かに先行する堀江氏の方は厳しい海況にあるとはいえ、操船不能というほどの状況ではなく、順調に航海中です。
何しろ、Roaring Forties(咆える40度線)からFurious Fiftieth(怒号する50度線)にかけての航海です。何が起きても不思議ではない世界を、斉藤氏はかつて世界一周レースで共に走り、彼の数百km後方で遭難し死去した友を弔いにその海域に向かっています。
堀江氏のマーメード号は約880海里でケープ・ホーンです。順調に行けば12日頃に、世界一の荒ぶる海ドレーク海峡を越えそうです。斉藤氏の方は、現時点ではちょっと予測ができません。
何れにせよ、二人が無事に航海を続けてくれることを、切に切に祈っています。

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