2005/2/20 日曜日

カテゴリー: 未分類 — zen @ 18:24:24

2月20日(日)/曇・小雨

MIYAがシーボニアに回航されて3週間も経つのに、明日からやっと船上での修理作業が始まります。
これは、畑下さんがアメリカでの所帯道具のほとんどを船に積んでいて、艇の修理のためには、それらを全て運び出さなければならなかったこと、そして、MIYAに先立つ他艇の修理のスケジュールが詰まっていることなどが原因の一部です。
待つことって、結構辛いものです。恐らく、畑下さんのお気持にはジッとしていられないような焦燥感があったことと思われます。
その間、ボランティアの面々は、お話し相手を勤めたり、散歩や衝突の折の傷の手当に病院へお連れしたり、いっしょにお昼を食べに出掛けたり、三浦の街をドライブして、昔、畑下さんご夫妻が住んでいた家を探したりしました。家は、まだちゃんと建っており、畑下さんは亡くなった奥さんとの想い出のよすがを発見して、とても嬉しそうでした。
勿論、その間に艇の修理に関わる様々な交渉事や修理の段取りなどを話し合ったりもしました。それでも、畑下爺さんとしては、実際にヤードで修理作業に立会い、具体的な指図や号令を掛けたくてジリジリしていたことと思います。

それにしても、ボランティアとは、本当に難しいものです。
当初、声援を送って下さる方があれだけ大勢いたのに、いま現在、実際のお世話に関わっているのはたった3人です。多分、お気持はあっても、どう手を差し伸べてよいのか分からず、手を出し兼ねている方々も大勢いることと思います。また、遠方だからとか、忙しいからとかいう理由で気持があっても手伝えないという方もいます。
でも、実際に関わるということは、そういうことではないと私は思うのです。
問題は、やる気持ちがあって、それを実行しようと決意するかどうかでしかありません。
3人のボランティアが遠方ではなく、多忙でもないなんてことは絶対にありません。身内に重症の病人を抱えている方、決算の真っ最中で会計士や税務署の帳簿チェックの合間を見つけて来られる方々なのです。私なども、通常1時間半の道程も、混雑すれば片道3時間掛かります。それでも、本当の使命感があれば、何の苦も感じずにお世話に馳せ参じます。
手を差し伸べられない方々は、思うに任せぬ気持の裏返しで様々な憶測や仮定の危惧など、状況を混乱させるような言動を如何にも情報然とサイトやメールに流します。まるでお祭り騒ぎです。愚にもつかぬ書き込みをする時間があったら、現場に来て手を貸してくれればいいのです。
ボランティアとは、もっと寡黙で、地味で、地に足が着いた日常活動です。
マスコミがどんなに騒ごうと、私たちには何の関係もありません。但々、畑下爺さんの夢を実現させて上げたいという思いに貫かれ、そのために今何をして差し上げられるかというだけのことなのです。
今週の終わり頃には、3人のボランティアのお一人が姫路に移られます。猫の手も借りたいというのは、正にこのことです。誰からも注目を浴びず、地味で報いもないこの活動に手を貸して上げようという方がいらっしゃったら、どうぞお知らせ下さい。
唯一の願いは、畑下さんがお元気に歩けるようになること、そして、いつの日か、万帆に輝かしい日差しを浴びて、畑下さんが日本を出航して行くことを実現すること、ただそれだけです。

2005/2/10 木曜日

カテゴリー: 未分類 — zen @ 1:18:22

2月9日(水)/曇時々晴・11℃

ヨットMIYAのその後をお知らせします。
1月末にヨットがシーボニアに回航され、2月4日にオーナーである畑下さんが、今給黎さんの車で三崎に到着しました。4〜6日までは、畑下さんは三崎の海員厚生施設の旅館に滞在され、その後、シーボニアのコンドミニアムに移られました。ベランダからはマリーナが一望できるロケーションに畑下さんも満足のご様子です。
6日には、シーボニアで畑下さんを囲みお話を聞く会を催しました。当初は、サポートの志のある方々の顔合わせを兼ねてというものでしたが、シーボニア・ヨットクラブの協力も得て、50名もの方々が集まって下さいました。
大勢の聴衆とマイクを前に畑下さんは緊張気味でしたが、お話が進むにつれお得意の弁舌が冴えわたり、所々、拍手喝采が湧き起こる場面もありました。
シーボニアのメンバーの年配の方々が「もうそろそろ、ヨットは若い者に任せて…」などといいますと、「オレはまだまだ止めないよ。この次はパナマを抜けてカリブ海、そして、大西洋を渡ってギリシャへ行く」とやり返されていました。本当に、凄い爺様です。
お話会の後は、多くの方々のお手伝いを得て、艇の中の私物を倉庫へ移す作業になりました。何しろ、所帯道具一式を積んできたというように、物凄い量の荷物が積まれています。それを仕分けしながら艇の外へ出し、小さな台車で何十往復もの運搬作業です。kairen のサイトでお話会を知った飛び入りの方までが、一生懸命働いて下さいました。
翌月曜日は、畑下さんがコンドミニアムへ引越しです。お近くサポートの方がお昼の差し入れをして下さったり、昨日運び残した荷物を運んだりの一日でしたが、外国船籍のヨットの査察に係官がみえて作業が中断し、加えて余りの寒さに早めに作業は中断されました。
その後、今給黎さんと彼女のパートナーが畑下さんのコンドに泊まり込みでサポートを続けて下さっています。しかし、明後日(11日)には彼女たちも国際ボートショーに出席のためにシーボニアを離れます。
考えてみれば、何一つ不平ももらさずにサポートして下さる今給黎カップルに、私たちはおんぶにだっこだったと思います。よくぞあそこまでお世話が出来ると、心から感銘させられます。
11日以降は、それこそ地元の私たちが全てを引き受けてお世話をする訳ですが、とても今給黎カップルのようには出来ません。せいぜい、毎日誰かが畑下さんの所に顔を出し、お世話すべきことを見つけ出してお手伝いする程度です。私も、最低でも一日おきにはシーボ二アへ通い、出来る範囲でお手伝いさせていただきますが、私たちサポーターが引き上げた夕方から翌日午前中までは、マンションで全くお一人で過ごされる訳です。歩行もしっかりしてきたとはいえ、補助の手押し車を使っても一人の歩行は、まだ危険な状態です。その間に何かが起こったら・・・もう、心配事は際限がありません。
人手が必要になったら、いつでも電話して下さいと、電話機の傍らに私の番号を書き置いてきましたが、遠慮深い方でもあり、簡単には電話をしてくれそうもありません。
しかし、私たちに何が出来るのだろうかと考えてゆくと、ボランティアのサポートの限界がこの辺にあるのだろうと思い当たります。畑下さんが清水にいらっしゃった時、親身にお世話して下さった内海さんは「出来る事を、出来る範囲で」といわれていましたが、多分、いろんな意味でこの限界を実感されてのお言葉だったのかも知れません。必要な事に必要な時に応えられる善意、押し付けにならない善意というものは、考えてみると本当に難しいものだと感じております。

2005/2/1 火曜日

カテゴリー: 未分類 — zen @ 17:12:16

2月1日(火)/晴時々曇・北西の強風

今日は、ヨットMIYAのサポートと文化の違いについてお話します。
かつて私は世界周航を目指して日本を出航し、最初にカナダのヴィクトリアに着きました。カナダ・ヴァンクーバーには妹ファミリーが住んでいてあらゆるサポートをしてくれましたから、私自身、何ら不自由することがありませんでした。しかし、カナダを出てアメリカへ向かう時、あ〜、これからは何もかも自分で切り回して行かなければならないのだと実感し、とても心細い思いになりました。
途中、ポート・タウンゼントに一泊し、翌日、シアトルに着きました。
カナダと比べ、英語が全く通じないのには閉口しましたが、それよりも何よりも、人間が冷たいと感じたことが、とてもショックでした。
カナダでは、エンサインの日の丸を揚げているだけで、沢山の人が「禅」を訪れ、何くれとなく手伝ってくれたり、航海中全く食べることの出来なかった果物などを差し入れてくれました。そして、多くの方が航海中の話を聞きたがりました。
しかし、シアトルでは、まるで日の丸に気がつかないように誰も声を掛けてくれません。何と冷ややかなんだろう・・・。
マリーナ事務所でダウンタウン行きのバス停を尋ねると、顎をしゃくるようにして、「そこだ」といいました。お陰で、その日はバス停が見つからず、ダウンタウンまでの恐ろしく遠い道を歩きました。翌日、もう遠距離を歩くのが嫌でしたから、またバス停はどこかと尋ねると、同じように「そこだ」といいます。私は、「実際の場所が分からないから聞いているのだ」というと、その男は、私を連れて親切にバス停まで案内してくれました。
なんだ、ちゃんと尋ねれば、親切に教えてくれるじゃないか!その時、私ははじめて気がついたのです。分からなかったら尋ねろ、手伝いが欲しければ頼め。彼らアメリカ人は、自分から頼まれもしないことをしようとはしません。しかし、頼まれれば、嫌な顔一つせず実に親切に教えてくれ、手伝ってもくれます。困った顔をして他人の親切を期待するのではなく、彼らにとって、親切とは求めるべきもの、そして、求められたら快く与えるものだったのです。
それからというもの、私は、遠慮という感覚をかなぐり捨てて、彼らと接触を持つようにしました。船具屋で使い方の分からないパーツなんか見つけると、どう使うかを尋ね、店員は、それを分解してまで説明をしてくれます。駐車場を出ようとする車を捕まえ、行き先方向が同じなら乗せてもらいました。そんなことを通じ、彼らは、とてもフレンドリーなセンスを持った人たちであったことが分かりました。
この教訓から、私は、困っていたらそれを察して手を差し伸べてくれる日本の文化を「お察し文化」と名づけました。しかし、アメリカ人にしてみれば、私たちのそうした感じ方は、余計なお世話と映るわけです。私たちは、アメリカ人を個人主義とか過剰な自己アピールとかいいますが、そうした文化の底流をしっかり理解しないと、とんでもない誤解を生むものなのです。
こうした文化の違いを踏まえ、私は畑下さんとの接し方について考え込んでいます。
彼が永年アメリカで生活し、どの程度アメリカの生活習慣を身に着けているのかは分かりません。でも、私が僅か2年ほどアメリカに滞在しただけでも文化の温度差を感じているのですから、アメリカにしっかり生活の根を下ろした畑下さんが、通常日本で暮らす人たちと同じ感じ方をするとは思いません。帰国当時、私は、いろんな局面で戸惑いましたし、よく他人から浦島太郎症候群と笑われたものです。
畑下さんは、昔、マグロ船に乗って諸国を訪れました。そうした船の場合、出入国から検疫、税関、はては日常の買い物までを船舶代理店に任せます。ヨット乗りの私たちには馴染みのない習慣ですが、今回、畑下さんは代理店に前記の事柄のほか、船の修理や細々した日常生活の一部を任せていらっしゃいます。
そうすると、私たちボランティアがお手伝い出来ることは何なのか?しかも、畑下さんがアメリカ的な感性を身に着けていらっしゃって、私たちが親切と思って手を出しても、或いは、余計なお世話なのかも知れない訳です。
何れにせよ、畑下さんは4日、今給黎さんの車で三崎に来られます。よくお話を伺い、何をして差し上げればいいのか、何をして欲しいのかを尋ねながら、遥か太平洋を渡って来られたご高齢の畑下さんに、本当に満足していただける三崎滞在にしたいと考えています。

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