2005/6/19 日曜日

6月19日(日) 曇り・湿度高く蒸し暑い午後

カテゴリー: 未分類 — zen @ 21:40:59

梅雨活動が本格化し、雨の合間に紫陽花の爽やか紫紺や紅紫の彩りを愛でる日々を送っています。
とはいうものの、里山に春楡のむせるような香りが満ちた頃より持病の肺気腫に喘息が重複して発症し、折から、海・ヨット関係の行事が目白押しの昨今、何処にも顔も出せずに臥せっている毎日でした。
幸い、先週半ばより多少の外出も出来るようになりましたが、まだまだ無理が利く状態ではありません。関係筋には不義理を重ねておりますが、暫時ご容赦ください。

5月28日には“KENNOSUKE CUP”がありました。シーボニア沖をスタートして相模湾を横切り、対岸の伊東沖にフィニッシュするという楽しいレースです。
私のヨット「禅」は林賢之輔氏のデザインで、現在の林デザインのオーシャンゴーイング艇の原型をなすものだったことと、それに多くの知己が林デザイン艇のオーナーでもあったりで以前からお誘いをいただいておりました。勿論、体調不良で参加は出来ませんでしたが、レース後、幹事の九里氏(「あうん」オーナー)からのお知らせによると、途中で風が絶えてノーレース。それがためか、アフターレースのパーティーが非常に盛り上がった由、ヨットの世界ならではの顛末を聞かせて頂きました。

6月6日、7日は、斉藤実氏と堀江謙一氏が相次いで無寄港世界一周から帰還されました。
特に斉藤氏とは私の航海中にも浅からぬ縁があり、加えてフィニッシュが我が母港シーボニアだったりで、海上出迎え、慰労会、歓迎会、報告会と多岐にわたってお誘いをいただきました。にも拘らず、どれ一つにも参加出来ませんでした。

さらに、6月15日、午前9時過ぎ、81歳の畑下さんがシーボニアからアメリカ・サンディエゴへ出航されました。
せめてこのお見送りだけは・・・と思っていましたが、何とこれにも顔を出すことが出来ず、私はすっかり意気消沈してしまいました。
畑下さんからは、15日に先立つ数日前、電話があって、互いの思いのたけを語り合いましたから、今さら見送りに行って伝えなければならない言葉もありません。それでも、互いに多くの共通項を抱えた年寄り同士、私が顔を見せることを心頼みにしていたんじゃないかと想像し、なんとも残念なことでした。
かつて世界の海を放浪して、私はいろんな国の方々に言葉に尽くせぬほどの親切を頂きました。それが余りにも純粋で、利害感覚が微塵もなく、しかも肉親にも出来ないほどの心の篭った厚意だったのです。その圧倒的な善意には、なまじ文明の垢にまみれた私などにはお礼の気持を表現する方法も思い浮かばないほどです。さらにいえば、私たちの常識であるお返しの意識で報いては、恐らくとても無礼なことになるに違いないと直感されて、親切にされる度にとても悩んだものです。
はじめは、私が制作する書や絵画を額装して御礼にしていたのですが、どうも真っ直ぐに感謝の気持が伝わる方法とも思えません。それでは、一体どんな方法があるのだろう・・・?
遂に思い至ったのは、お礼・お返しという意識自体が利害感覚が潜んだ行為だったということした。そして、サポートを必要としている人を見つけたら、その感謝の気持を親切という形にして、私が受けたのと同じように、純粋に、利害感覚なんか微塵もなくプレゼントするということでした。つまり、感謝の気持を親切という行為に変換して次の人へ廻すこと!世界中のヨッティーが、そんな友情の輪で世界を結び合わせることできたら、何と素晴らしいことだろう!そんな結論に達して、私は興奮していたものでした。
畑下さんが三崎に「MIYA」を回航してきて、長期に亘って修理に専念されると聞いた時は、遂に、私にも心に蓄えた感謝の気持をボランティアという形で放出するチャンスが巡ってきたと喜んだものでした。そして、おこがましくも「感謝の気持を次の人に廻そう」なんていろんなところに書いたように記憶しております。
ところが、1月末から始まった私の三崎通いも4月12日を以って最後になってしまいました。前記のように、豪語といわぬまでも麗句を並べておいて、如何に年寄りの体調が定かでないとはいえ、たった2ヵ月半のお世話でギブアップとは・・・・・情けない!の一語に尽きます。
また、そのために、広島での講演のついでに畑下さんの様子を覗きに来られた今給黎さんとかみちゃまが、6月18日まで、GWを越えて三崎に滞在して畑下さんに付きっ切りのお世話をする羽目になりました。しかも、その間には、長野や那智勝浦などの長距離ドライブも含みます。その献身振りにはもう、ただただ頭が下がります。
しかし、畑下さんの航海再開では、畑下さんとキュウリは遂に意見の一致をみることはありませんでした。彼女のサイトにもあるとおり、出航の折、約束の軍艦マーチもスピーカーから流れず、振り向いて別れの手を振ってくれることもなかったと彼女は書いています。そして、この意見の食い違いのままに見送った出航については当分思い出したくない、と。
何故そんなことになってしまったのでしょう。
いうまでもなく、畑下さんの健康状態は、客観的にみて航海に適しているとはいえません。健康状態という一点でいえば、誰だって畑下さんの航海には反対だったでしょう。私も勿論その通りです。
しかし、人生とは健康状態だけが支配するものではありません。つまり健康状態以外でならどうだろうと考えると、航海に反対するべき理由なんかどこにもありません。
100人いれば100通りの海があります。畑下さんが考える海、キュウリがイメージしている海、或いは、私が思う海。三人三様に、海とはとことん付き合ってきたと豪語するでしょう。しかし、それらは、同じ太平洋でありながら、それぞれみんな違う様相を示した海なのです。キュウリの海は、恐らく洗練されていて、子供が健やかに育ち、平和や人類の調和を願う人々のハッピーでポジティヴな海です。畑下さんの海は、かなり乱暴というか野蛮な傾向を示し、しかも、洋上で支持されているセオリーなんかも無視してしまう無鉄砲さがあります。でも、それらの海には、それぞれ他にはない独特の思想やマナーやロマン(夢)があります。
さらに、それぞれの海にどんな航路と夢を描くか・・・さらにさらに、航海を志す人のアイデンティティーが加味されれば、命の危機を百も承知で出航するという人を無口にさせてしまうほど航海の決意を押し留める理由は私には思い当たりません。そして、最後には、自らの命を賭けるという決断を厳粛に受け止める・・・それ以外に道はないのではありませんか。
無事、サンディエゴに到着してくれるかどうか、結果は分かりません。でも、万が一のリスクなんか度外視して、私は畑下さんにエールを送ります。そして、航海の成功の一報を楽しみに待っています。

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