2005/7/12 火曜日

7月11日(月)/曇り時々晴れ・32℃

カテゴリー: 未分類 — zen @ 1:04:51

最近、このページは畑下さん情報で終始していた。
ご存知のように、金華山沖750海里の洋上で漂流するヨットMIYAが発見され、畑下さんはキャビンで落命されていた。
今日7月11日、MIYAは巡視船に曳航されて横浜港に帰って来る。キュウリ(今給黎教子さん)が、ご親戚の要請を受けて、私たちボランティアの代表として横浜港に出迎えている。
僕らの務めは終わった。後はご親戚の方々がしめやかに営むべき内々の世界だ。畑下さんの冥福を祈ることも含めて、僕らが為すべきことは、心の中でもう全て終わったと僕は認識している。だから、今日の出迎えは勿論行かないし、今後、もうこのページで畑下さんのことを主題として書くこともしない。

季節は梅雨真っ盛り。西日本では豪雨で随分被害も出ているようだが、関東ではどちらかというと空梅雨の感があり、時折猛暑がやって来る。
僕はクーラーが大嫌いだ。まだクーラーが出始めの頃、僕の勤務先でも巨大な食器戸棚ほどのクーラーを設置した。そして、僕の席は、正にクーラーの吹き出し口の前だった。背後からその涼風に吹かれてご機嫌だったのは一ヶ月ほどだったろうか。やがて、ありとあらゆる種類の体調不良が噴き出した。
特に、若い頃の交通事故で頚骨に大きなずれを来たしたままだった僕は、ひどい頭痛に苦しんだ。眩しくて目が開けていられない頭痛、鼻血が噴き出すんじゃないかと不安になるほどの頭痛、目尻が吊り上って形相が変わっているだろうと感じる頭痛、頭蓋の中でビルのコンクリート壁をぶち壊す巨大な鉄球が振り子運動をして側頭部を打ち崩そうとする頭痛・・・そんな苦しみをひと夏経験して、僕は徹底したクーラー嫌いになった。今でもクーラーの冷気の中に一時間もいると、あの頃の苦痛が実際に甦ってきて僕を苦しめる。
だから、例え35℃の猛暑で街中がへんに静まり返ってしまうような昼下がりでも、また、寒暖計が30℃を下回らない熱帯夜でも、僕はひたすら、暑さをジッと耐える。しかも、ベランダの前の広い芝生を通ってきた涼風が開け放った窓を通って部屋々々を吹き抜けて行く時、クーラーの冷気に包まれて窓を閉め切っている人々が味わうことのない季節感を味わうという幸せを僕は享受している。
日本が長寿国なのは、明瞭な四季があるからだという説がある。長寿そのものが最高とは思わぬが、命までをも永らえる四季の移り変わりの爽やかな気の豊かさを味わい尽くすことに於いて、クーラーとは、正に無用の長物である。

先日来、上田三四二という人が書いた評論を数冊まとめて読んだ。
特に面白かったのは「徒然草を読む」だった。吉田兼好と「方丈記」の鴨長明との比較論も面白かったが、何といっても、上田氏は作家になる前は脳外科の医師だったことによる脳生理学で解析した心というものの考え方だった。
さらに、上田氏の「うつしみ」という著作は、氏が大病で手術を受けたことによる体験に端を発して書かれている。全身麻酔で眠りとは全く違う何にもない世界、空間・時間も存在しない限りなく死に近い体験を振り返り、帰納法的に死とは、生とは、心とはといったテーマに迫っている。
その中で、評論の核心とは余りにもかけ離れているが、上田氏が、自身も唖然とするばかりに方向感覚に欠落していることが書かれていた。そして、そうした特質が関係するか否かは不明だが、人が覚えられないことも顕著だという。人を覚えないとは、会って紹介されて、その次の瞬間にはその人の顔も風体も名前も記憶にないということだ。無理に忘れる訳ではない。覚えることに全く意欲が働かないから、当然記憶には残らない。
何故このことに僕が興味を覚えたかといえば、正に僕自身がそうだからである。
人様から声を掛けられてその人に見覚えがないのはいつものことだから、その対応には慣れたもので何とかその場を繕う。そうこうする内にささやかな記憶が甦って当人を認識したりして、どうにかこうにか世の中を渡って来た次第だ。
しかし、何とも引っ込みがつかないのは、僕が「初めまして・・・」などと名刺を差し出した相手が「イヤだなァ~、西久保さん、先日も会ったじゃないですか」などといわれた時だ。その瞬間、相手とその名前を思い出せば何とか大きな無礼もなく冗談に紛らわすことも出来るが、思い出せない時は最悪だ。当然、相手は快く思うはずがないし、恐らくは侮辱されたように感じているに違いない。相手とは、往々にして取引先の担当者だ。相手の気分は直接取引に関係する。そう思うと僕は益々硬直して、当の相手が顔のない人のようにまるで判別がつかなくなってしまう。
こういう能力欠陥は、僕がまだヴィジネスの世界にあった頃は大きな悩みだった。だから、対策として、名刺交換した人の名前を自分の手で書いてみるとか、意識してその人の名前を織り込んで対話するようにした。確かに対策を講じた相手の名前は記憶したし、顔もよく覚えた。しかし、本来が人を覚えることが苦手という癖だし、会う人全ての名前をメモ用紙いっぱいに書き連ねて覚えることも不可能だから、相変わらず人様に礼を失する機会を絶滅するには及んでいない。
また、方向音痴に至っては、どちらが正しい方向かと考えた途端に足が竦んで前に進むことが出来なくなる。高速道路の出口や別の高速道路への乗り換えなどでは正にパニック寸前、よく今まで事故が起きなかったと不思議に思うばかりだ。
例えば、先日、紫陽花が美しい頃に鎌倉へお墓参りに出掛けた。家に帰ってから思い返してみると、道筋には隠れた紫陽花の名所もたくさんあったにも拘わらず何処にも寄らず、家と寺の直行直帰であった。しかも、行った道を、帰りには正確に逆に辿って帰って来ている。幼児期の迷子の恐怖感が僕の深層心理に潜んでいるのではないかと思えてならない。そういえば、迷子だけでなく、子供の頃の人さらいや人買いの話などが、この歳になった今でも、夕暮れ時の僕の心の片隅に息づいている。
今さら、方向音痴も人を覚えられないという欠陥も治るものでもあるまい。人並み外れてどうにもならないこの僕という人間の個性として、それらの欠陥と仲良く足並み揃えて生きて行こうと考えている。

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