2005/10/4 火曜日

10月4日(火)/曇り

カテゴリー: 未分類 — zen @ 18:00:20

気象図で見れば大陸から秋雨前線が東を伺い、いよいよ秋も闌るかと思えば、またまた真夏を凌ぐ猛暑がやって来る。相も変わらずおかしな天気が繰り返し、地球温暖化だの異常気象だのとニュースを賑わす。
ニュースといえば、先日、日中友好事業の一環として、中国で日本語の弁論大会があったと報じていた。
興味深く眺めていると、日本語を学ぶ学生たちが、見事な日本語で日本の美点を論じていた。「努力」という言葉が、日本では最も人気の高い言葉であり、日本人は物事に前向きに拘わる国民性を有するとか、「もったいない」という観念を日本人に学んだとか、うっかりすると私たち日本人が忘れかけているものを思い出させてくれるような内容だった。
昨今の反日感情を鑑みるに、中国にもこういう観点で外国(日本)を見ている人々もいるのだとホッとする感情になった。
しかし、よくよく考えてみると、こういう事がニュースになる時代的な素地とは何だろう。よくいう事だが、犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになるというように、稀なことだからこそ私たちの耳に届くという一面がある。つまり、日中友好を促進しようと頑張っている人は勿論いる訳だが、それはむしろ稀であることに他ならない。
日本人のほとんどの人は、人種的差別や反日感情に曝された経験はない。しかも、平和慣れして能天気な日本人は、外国を旅行しても客としてもてなされることが、あたかも日本人が世界中から極めつけの好感をもって迎えられていると錯覚しているから始末が悪い。
かつて、私がヨットでサンフランシスコを訪ねた折、入港しようとしたマリーナで入港を拒絶されたことがある。それは、ルールで外部者は入港出来ないとか、他の客の応対で忙しいとかいう種類のものではなく、不思議な蔑視感、疎外感、無視された感覚だった。
私だって初めての経験だから、その時は単に不快感を覚えたという程度の感想だったが、後日、現地に住む日本人に、それが人種差別なんだと言われ、なるほどと納得したことがある。
また、オーストラリアのバンダーバーグという小さな街を歩いた折、広場に古い戦闘機が展示されているのを見た。近づいて観察し、現地の人々に話を聞いたりするうち、周囲の人々の目が尋常でないことに気づかされた。その飛行機とは、第二次大戦の折、日本軍と闘った飛行機だった。彼らの目には敵対感とは言わぬまでも、明らかな困惑の色が伺えた。
さらに、ブリスベンの街中に立派な戦没者慰霊公園があって、歩きつかれた私は、ベンチに腰を下ろして昼食のフィッシュ&チップスの包みを開いた。その私を取り囲んだ目は、明らかに敵対意識を露骨に示し、お前たちの来るべき所ではないと抗議しているようだった。聞けば、僅か数年前までは、アンザックデー(退役軍人の日)に、日本人は危険を感じて一日家に閉じこもっていたそうである。
他に、オーストラリア北端のホーン島では、ホテルが開設しているミュージアムがあって、その収集品はほとんどが日本軍の兵器の残骸だった。大破したゼロ戦や上陸用舟艇や、醜く赤錆て何やら想像もつかぬ不思議な兵器に溢れていた。
そして、一角には大戦中の写真が所狭しと貼りめぐらされていた。
一人の青年が私に近づくと、いきなり日本人か?と尋ねた。そうだと答えると、有無をいわせず私の腕を掴み、写真のコーナーへ引っ張って行った。そして、一枚の写真を示し、お前たち日本人は、我々にこういうことをしたのだ!と怒気をこめて叫んだ。その写真とは、日本の将兵が日本刀を振りかざし、目隠しをして前屈みに蹲るオーストラリア兵を、いままさに両断せんとする一瞬を写したものだった。
私たちは勿論、一言も言葉がなかった。立ち去った男を見送って、同行したヨット・シーマの松浦氏と、「今度国籍を聞かれたら、コリアンと答えようかね」と呟いた。
その他にも、私はいろんな所で人種差別や反日感情のささくれた感情にさらされた。そして、日本は決して世界が無条件で門戸を開いて歓迎されているという国ではないのだと肝に銘じたものだ。
それにしても、そうした感情にさらされる遥か以前、私はサンディエゴに住む或る日本人からショッキングな話を聞いていた。彼は奥さんと二人だけで大きな家に住んでいたので、いくつもの空き部屋があり、何人かの学生にルームシェアといって部屋を貸していた。
その中に中国人のとても真面目な青年がいて、或る時、彼の奥さんに、「僕たち中国人の学生は、何を目標に勉学に励んでいるか分かりますか?」と質問したそうだ。勿論、分かるわけもなく、奥さんは、「何を目標にしているの?」と反問した。そうしたら、その学生は、「かつて日本が中国を植民地化したように、僕らは日本を占領して植民地にし、母国の人々を幸せにします。それが今、僕らが一生懸命勉強している目標なんです」と、全く臆することもなくいい切ったという。奥さんは不気味に感じ、亭主にあの学生を追い出して欲しいと迫ったそうだ。勿論、そんなことは簡単に出来る事ではないので、彼は大いに弱っていた。
しかし、これはある種、思想といっていいものだろう。
彼の言動は、中国の留学生全てのものでないことは確かだ。また、一流大学といわれるUCSDに学ぶ彼が、知能的に劣るはずもなく、当然ながら一般的にいう知識階級に属する青年である。その彼が、日本人に向かって日本を占領し植民地にするという。これって、一体何だろう?
平然といい切ったのは、それが彼らの常識だからだ。無理して、背伸びしていっていることではないというところが恐ろしい。常識というなら、その思想の背景にはそうならしめる教育がある。反日感情は、彼らの個性からではなく、教育で培われたものなのだ。だから、インターネットで反日デモを呼びかければ、たちまち町中を埋め尽くすほどのデモ学生が結集し、昂じれば暴徒にもなるのだ。
やみくもにデモをし、暴徒化して日本商社にレンガを投げつけ、差し当たってのエネルギーを発散しつくしてみたら、何やら教育で身につけた常識の向こうにバランスの歪みが見えた。暴徒化することの良心の咎めではなく、自らのバランス感覚が感得するひずみ。全体主義的な教育も、それが培った常識も、このバランス感覚が目覚める余地さえ残っていれば決して絶望的ではない。
暴徒が一人、二人と脱落し、何かが違うんじゃない?と大衆が問いかけだしたところに、日中友好弁論大会が発生する素地があったのかも知れない。稀なことをニュースが取り上げるとはいえ、日本人に耳ざわりの良い弁論の中身ではなく、偏向した全体主義的教育が露呈したバランスのひずみに気づいたことの稀有がニュースになったとしたら、これに勝るよろこびはない。

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