7月15日(土)/晴れ・33℃
コンピュータを離れようと椅子から立ち上がりかけて、スリッパがツルリと滑った。
フローリングには小さな水溜りがあった。それは、知らぬ間に腕を伝い肘の先から滴った汗の溜まりだった。やれやれ、この暑さは半端じゃない。
家中の窓も戸も開け放ち風を入れ、扇風機を回して多少は体感温度を下げているとはいえ、空気の温度は紛れもなく33℃だ。昨日も、熱中症で死者が出たというが、恐らく今日も同様の事故が起こっているのだろう。僅かな慰めは、その当事者が、少なくとも今現在私自身ではないということだ。
でも、他人事ではない。私も高齢者に分類される身ではあるが、体力が衰えたお年寄りには正に地獄の猛暑だ。そういうお年寄りが、身の回りには沢山いる。どうか、この異常ともいえる暑さを無事に乗り越えていただきたいと切に願う次第である。
歳をとるということは、ある意味、激しい情熱を失うことなのだろうか。
最近耳にするニュースで、心が晴れるという話は極端に少ない。何の意味もなく幼い子供を殺したり、自分の家に放火して家族を殺してしまったり、拉致問題が北朝鮮の核開発やミサイル問題に隠れて袋小路に追い込まれたり、国連の北朝鮮への制裁決議が何かの駆け引きの具になって迷走していたり、小泉がバカ乗りしてプレスリーの所作を真似て世界の失笑を買ったり(アメリカは、ああいうノリを笑いに流してしまうが、ヨーロッパでは眉をひそめ、見ぬ振りをして無視してしまう)、イスラエル/パレスチナのあまりにも愚かな混迷と泥沼、そしてジダンがW杯決勝でマセラッティを頭突きでノックアウトしたまではいいが、そうなった経緯が民族意識絡みだとか家族を侮辱する発言があったとか・・・・。もう~、いい加減にしてくれ!
何だか、みんながそれぞれ、全く別の方向を見、別のことを考えているような、或いは、意図的にそっぽを向き合っているような・・・いい方を変えれば、人がどう考えようとオレには関係ないといった人間同士の冷えびえした断絶を感じてしまう。昨今は、胸の内をかつて経験したことのない冷たい風が吹き抜ける殺伐とした時代だと思う。
そして、それらを整理して目の前に並べ、さて何から、どう手をつければ多少なりとも良い方向に向かうことが出来るのかと問いかけた時、高齢のこらえ性の無さなのか、「斯くあらねばならぬ!」という断固とした情熱も意思も湧いてこない。
若い頃は、正義感というものが押さえがたく、歯ぎしりしてその問題に取り組み、何らかの働きをせずにはいられなかったあの情熱はどこへ消えてしまったのだろう。そればかりか、そういう煩わしい問題を次々に引き起こすことそのものに、「何でそう、ものごと荒立てなきゃならんのや?」といった事無かれ主義の怠惰が先行する。歳をとって、少しは人間が丸くなってきたといういい方もあるが、激しく燃え上がらない自分を客観的に眺める時、一抹の寂しさが心を占めるのをどうすることも出来ない。
さっきまで焼き尽くすように降り注いでいた夏の太陽が黒雲に覆われ、いま、しきりと雷鳴が聞こえている。小気味良い夕立が、この灼熱の午後をひと掃きして涼風を送り込んでくれないものか。
TrackBack URI : http://www.zen-nishikubo.net/letter/archives/49/trackback
コメント (0)