2007/2/20 火曜日

2007年2月20日(火)/雨のち曇

カテゴリー: 未分類 — zen @ 14:07:33

通常、僕は人に借りた本は読まない。
僕にとって読書とはファッションと同じだ。僕は人に借りた衣服、或いは、誰かに与えられた衣服は着ない習性だ。だから、自分で選んで買った本以外は読まない。
僕の蔵書はかつては膨大だった。しかし、1995年に航海に出掛けた折、4分の3を処分し、どうしても手元に置きたい4分の1はヨットに積んだ。ヨットに積載した荷物で一番嵩張って、しかも重量があったのは僕の蔵書だった。本は、僕にとって、或る意味、僕の知的履歴だと思っている。だから、意図して手にした本は必ず手元に残す。だから、自分で選んで買った本以外は読まない。
しかし、この度、僕に読ませたいと或る人に預かったという本が手元に届いた。それは、浅倉卓弥の「四日間の奇蹟」という本だった。しかし、その本は僕のこだわりから数日間、机の上で埃を被っていた。
最近は本も高くなって、そう安易に買いあさる訳にはゆかない。さらに、僕は、気に入って買った本、従って、手元に大切に保存している本を、何度読み返しても少しも退屈したりはしない。本というものは、読む年代、読む時の環境、僕自身の気分や心に掛かっている課題などによって、その都度新たな感銘を与えてくれる。
最近は、前のこの『手紙』にも書いたように上田三四二の「うつしみ」を読んで後、やはり上田三四二の評伝「西行・実朝・良寛」を読み、増谷文雄の「業と宿業」を読み、石原慎太郎の「風についての記憶」を読み、トルーマン・カポーティの「草の竪琴」を読んだ。そして今、村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読んでいる。それら全ては、どれも最低5回は読み返している。
さて次は何を読もうかと逡巡している時、机の上の「四日間の奇蹟」が目についた。
文体に馴染むまでは、さしたる期待もなく活字を辿っていたと思う。ただ、脳生理学と音楽に関する知識が相当のものだと感心した。ご存知の方も多いと思うが、特定な何かを文章に書く場合、ありったけの知識を全て書いたら、その文章は薄っぺらでとても読むに堪えない。せいぜい、10の知識があれば2か3程度しか書けないものだ。だから、この見識には些か驚いた。解説で書評家が、文章から音楽が聞こえてくるような文章と書いていたが、実際、その通りだと思って読み進んだ。
面白いことに、この本のテーマは、「肉体を離れて、心は存在し得るか」ということだった。そしてそれは、やがて心とは何だろうということに展開して行く。つまり、上田三四二の「うつしみ」で、「心は脳の働き以上の何ものでもないことを証明しようと努めるのは、科学者として当然のことだ。しかし、私はどうしても心の働きを脳の仕組みで説明することは出来ないと気がついた」と述懐したアメリカの脳生理学者の言葉と重なってくる。この本を僕に読むように勧めてくれた人は、多分、僕の『手紙』を読んだのに違いない。
「四日間の奇蹟」でも、脳と心の関わりと、どうにも説明がつかない脳と心の断絶に苦悩している。
心は、多分、脳の活動なのだろう。しかし、現代の脳生理学において、脳と心が直接結びつくことはない。いや、果たして現代の脳生理学でだろうか?
脳と心の結びつきについて、人間は古代から気づいていたのだと僕は思う。恐らく、これは人類の直感なのだろう。しかし、古代でも、現代の脳生理学が突き当たっているとほとんど同質の脳と心の断絶、直接的に結びつかない底知れぬ断絶に行き当たった。何とか解明したいが乗り越えられない深淵がある。そして、その深淵を埋めようと発明されたのが宗教であり神なのではないだろうか。
思えば、文学作品にせよ評論にせよ、そのほとんどがテーマとして取り上げるのが心であり、魂や命であり、そして死だ。いいかえれば、芸術に限らず、人間は心を求め、その実態を知ろうと悩む。前の『手紙』にも書いたように『命や心というもんは、自分のものでありながら自分の自由にならんもんや。それは預かり物やからだ』と仰った東大寺の前管長、清水公照師の言葉のように、生涯をかけて命や心というテーマを中心に人間は彷徨する。そして、公照師が『預かり物』といわれる部分が正に断絶であり深淵であり、そして、それを埋めようと試みる神なるものなのかも知れない。
脳生理学者は、脳という臓器のそれぞれの部分がどういう役割を果たすかという研究を手掛けたのは、つい50年ほど前のことでしかなく、まだまだ分からないことばかりだという。しかし、僕は、どれほど現代の科学や専門的な脳生理学が進歩しても、直感的にであれ古代から模索し続けてきたこのテーマが解明されることはないのではないかと思う。人類の永遠の不知なるテーマ・・・心とは、多分そういうものなのではないのだろうか。

2007/1/27 土曜日

2007年1月27日(土)/快晴・西の強風(大西)

カテゴリー: 未分類 — zen @ 3:53:15

暖冬の毎日が続いております。もう、地球温暖化云々は云い飽きましたが、かといって無視できるものではなし、また飽きたり慣れたりしてはいけないことです。車も電気もない昔の生活に戻ることは出来ないとはいえ、どこかでこの地球を食い潰す行為に歯止めをかけなくてはなりません。人類の総意を一つに纏め上げる救世主が現れないものかと待ち望んでおります。
去る1月9日(前回)の手紙に一つ書き落としたことがあります。従って、以下はその続編のようなものです。
歌人で脳神経医の上田三四二氏が、神田の古本屋で、アメリカの著名な脳外科医ワイルダー・ペンスフィールドの著書『脳と心の正体』を見つけたことをお話しました。その中に、ペンスフィールドが、「神経生理学者が、なんとかして心は脳の働き以上の何ものでもないことを証明しようと努めるのは、科学者として当然のことだ。しかし、このモノグラフをまとめるに当たって、私はどうしても心の働きを脳の仕組みで説明することは出来ないと気がついた」と書いていたとお知らせしました。
心って何だろうということは脳の専門家も私たち一般人も、等しく無関心ではいられないことです。或いは、一度もそんなことを考えたことがないという人は皆無といっていいでしょう。私が禅に深く関心を寄せたのも正にそういうことです。
参禅とは、座禅という行為を通してそうした疑問に分け入ることです。さらに、その疑義をさらに深めるために入室参禅(にっしつさんぜん)といって、師家に一対一で面談し禅問答をいたします。問答は、古くから用いられた問題集のようなものがあり、『無門関』や『碧巖録』などが有名です。『無門関』は48則あって、その41番目に『達磨安心(だるまあんじん)』という古則があります。
安心とは、波立ち騒ぐ心を沈め、心の平静を得ることです。本文を載せてみましょう。

「達磨面壁す、二祖雪に立つ。臂(ひじ)を斷っていわく、弟子心未だ安からず、乞う師安心せしめよ。磨いわく、心を将(もち)来れ、汝が爲に安ぜん。祖いわく、心を覓(もと)むるに、了(つい)に不可得。磨いわく、汝が爲に安心し竟(おわ)んぬ」

少々注釈を挟みます。面壁(めんぺき)とは、壁に正対して座禅することです。二祖とは、達磨がインドからシナまで海路を遥々やって来て禅を伝えた初祖で、その教えを受け継いだ慧可が二祖ということです。臂をたっていわくというのは、慧可の決心が堅いことを言い表しています。
面壁座禅する達磨に、慧可が、「修行を積んできたのに、私の心は未だに平静を得られません。どうしたら心安らかになれましょうか」と尋ねます。そうすると、達磨は、「不安心というその心を持ってきなさい。お前のために安心させて上げよう」といいます。慧可は、師匠の達磨に差し出すために夢中になって心を探します。そして、「くまなく探しましたけれど心が見つかりません」と答えます。達磨は、「心がなければ、不安心はあるまい。(お前の心はもう安心したよ)」と答えます。
この則に巡り会った時、私はハッとしました。心というものが、手足のように身に具わったもので、自らの自由になるものという思い込みがあったのではないか。そういう位置付けで心を捉えていると、心はいつまでも波立ったまま、仏教でいう煩悩の元の貪瞋癡(とんじんち=貪り・怒り・愚か)の三毒に毒されたままです。
話は飛びますが、前の東大寺管長の清水公照師に、私は随分可愛がっていただきました。その公照師が、ある時「命や心というもんは、自分のものでありながら自分の自由にならんもんや。それは預かり物やからだ」と仰ったことがあります。公照師のお話が先か、達磨安心の則に出会ったのが先かは定かではありませんが、どちらの場合も、撞木でど突かれたように強烈なカルチャーショックを味わい、正に眼からウロコが落ちる思いだったことを記憶しております。
心は個人の意思で造りかえることは出来ません。しかし、心に波風が立たない平静を克ちえることは出来ます。つまり、貪瞋癡を鎮めるのが修行であるということです。何かにつけて引っ掛かる突起や棘のある心を円やかにすること、或いは、心を自由にするのではなく、心から自由になること・・・お釈迦様が説かれた教えとは、つまり、仏教とはそういうことなのです。

2007/1/9 火曜日

2007年1月9日(火)/快晴

カテゴリー: 未分類 — zen @ 3:10:16

気がつけば、来し方の一年は終わり、はや次の年に改まっています。光陰矢の如し。賀状を書く間もなく、松の内は過ぎました。
そんな訳で、今年もまた、どちら様にも年賀状を差し上げておりません。ご無礼の段、お詫び申し上げます。
さて、新年早々、こういう話題も如何なものかとは思いましたが、人間誰しも老いては避けて通れない難問ですから、あえて書かせていただきます。
家人の兄弟が、近年、先を競うかのように他界しました。世間の常識からいえば、まだまだ先を急ぐほどの年齢ではなく、残された家人にしてみれば、切実な無常感を噛みしめたことでした。
月命日の墓参の或る日、家人が「子供みたいなこと訊くけど、人は死んだら何処へゆくの?」と尋ねました。
15年間禅門で座禅修行を積み、一応、居士号も頂戴した私であることを前提にした質問です。
世間には、仏教は死後の世界と密接に関わるものという誤解が一般的です。それは大変な誤りです。
仏典のどこを探しても、死後のことなどは書かれてはいません。生老病死に起因する人間苦の現世を、如何に幸せに生きるかということを説いたのが仏典なんです。すなわち、釈迦の初転法輪にいう「中道の宣言」「八正道(はっしょうどう)」「四諦説法(したいせっぽう)」・・・これらを実践すれば、人間は誰でも幸せになれるという教えです。それが、いわゆる仏教哲学としてはなはだ難解であるため、大昔の文盲、無教養の庶民にも分かるよう比喩、方便をもって説かれ、それらが本筋であるかのように誤解されているに過ぎません。
家人に対する私の答えは、実にそっけなく、「人間死んだら、ただ無に帰するだけ。何にも残らないし、何にも感じない」でした。
さて、そうはいいながらも、誰が見てきた訳でもないのですから、本当にそうなの?と自らに問えば疑義は尽きません。
そんな訳で、様々な書籍にも目を通します。面白いことに、こういうことに一番遠いところに位置しそうな物理学者や脳神経学者が、真面目にこのテーマで本を書いています。
今回は「上田三四二(うえだ みよじ)」の著書『うつしみ』から例を引きます。
上田氏は、歌人として有名ですが、評論、エッセー、創作でも独自の死生観をもって傑出した多くの作品を刊行しています。しかし、特に興味を引くのは、氏は、51歳までの22年間、国立病院の脳神経科の医学者であったことです。
上田氏は、脳神経医として脳や人間の生死、さらに精神や観念を経て心や霊魂に強い関心を寄せます。基本的には、霊魂や死後の世界の存在を否定するスタンスですが、氏自身のいろんな体験から完全に否定しきれない側面も行間に仄見えます。特に、八歳年下の文学者・高橋和巳の同病による死、さらに夫人の高橋たか子のエッセーに見る死生観、死後、精神(霊魂)は個であることを止めて集合的潜在意識の無限世界へ還って行くという特異な考え方に少なからず触発されているように見受けられます。
或る時、上田氏は神田の古本屋で、アメリカの著名な脳外科医ワイルダー・ペンスフィールドの著書『脳と心の正体』を見つけます。その中に、「神経生理学者が、なんとかして心は脳の働き以上の何ものでもないことを証明しようと努めるのは、科学者として当然のことだ。しかし、このモノグラフをまとめるに当たって、私はどうしても心の働きを脳の仕組みで説明することは出来ないと気がついた」と書いています。さらに、ペンスフィールドは、「脳はコンピュータであり、コンピュータ以上のものではない。コンピュータは外部の何者かにプログラムを与えられ操作されることによってはじめて機能する。そのプログラマーが心だ」といいます。つまり、心は脳以外の、従って身体以外のどこかにあることになる訳です。この結論はショッキングです。(西洋では、こういう場合、それが神だといいそうですが、この場合はそうでなかったのでホッとしました。)
さらに、上田氏は、生死の境を彷徨うばかりの大病を経験し、闘病や手術、そして麻酔の体験に多くを学びます。手術の麻酔から覚醒し、大病=死から身体的に生還してすぐには精神活動が伴わない違和感に、ペンスフィールドのいう身体に精神活動の原点である心が付随したものではないことを感得します。
余談になりますが、その後、次第に精神活動の芽が育ち、身体と呼応する活動を始めるまでを観察し、上田氏は、身体は「内なる自然」であるということに思い当たります。それでも、心、精神、霊魂、或いは死後の世界についての結論は、当然のことながら何一つ出ては来ません。まあ、それを模索し続けるのが人生かもしれませんが。
奇しくも、新年の大般若会の供物袋に、お赤飯や和菓子といっしょに建長寺管長・吉田正道老師の『一大事因縁』の墨蹟が入っていました。ご存知のとおり、「一大事」とは人間の生死(しょうじ)のこと、「因縁」とは、今日只今の生き様とのことです。因・縁・果、すなわち何かの因があり周囲の様々な条件が縁となって、人生の果として顕れます。その果の集積が一生であって、自分自身にとって見栄えのするものであれば、或いは、満足のいくものであれば、死後の世界は問うまでもないことなのかも知れません。

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