2006/11/23 木曜日

11月24日(金)/雨・11℃

カテゴリー: 未分類 — zen @ 18:45:04

11月24日(金)/雨・11℃

2ヶ月もご無沙汰いたしました。私の単なる不精にもかかわらず、知人の方々からは、健康でも害しているのではないかとご心配をいただき、まことに恐縮至極に存じます。
しかしながら、私の身の回りには、あらためて書くべき出来事もございません。日々耳目を捉えるものは、いじめ、自殺、虐待、世間の当たり前の規範を歯牙にもかけぬ偏執的な殺人、それに、何を感じ何を考えているのかと呆れ返る見当ハズレの政治やあまりにも非常識な行政の腐敗・・・ニュースを見るたびに虚脱感、終末観、はたまた、末法の世、平たくいえば「世も末だ!」と唾棄すべき出来事ばかりなのです。
古い映画に「山猫」というバート・ランカスターが主演した物語がありました。その中に、『群れに投じたら頭目を探せ。それが居なければ自分が頭目になれ』という意味の台詞がありました。そして、私はその台詞の信奉者でした。いってみれば、ある種軽薄な正義の味方のお先棒担ぎだったのかも知れません。ですから、昔なら、このやり切れない思いを正さんと、微力と知りつつも情熱を傾けて行動を起こしていたことでしょうが、古希を過ぎてみれば、いつかなそんな気迫も消え失せ、無力感ばかりが残滓のごとく胸の奥に積もるばかりです。
でも、こんなボヤキを書き連ねるなら阿呆にでも出来ることです。しかし、私の身の回りにそれ以外の出来事もありません。従って、「あらためて書くべきこともない」と相成る次第です。

昨日、インターネットでアメリカに住むLindaさんという日本人女性のブログを拝見しました。その中に、セクハラによる訴訟問題が話題になっていて、究極「文化の違い」ということが語られていました。
私も、アメリカをはじめ10数カ国を旅しながら、生活を裏側からしっかり支えている文化の違いを体験し、それが現象面に現れた軽々なるものではないということを実感してきました。
無数にある体験談の中から一つ顕著な事例を挙げてみましょう。
サンディエゴのコンボイという街で日本食レストランを経営する日本人がいました。私たちは、彼が店を終わると、よくいっしょに遊びに出掛けました。
或る日、彼がひどく落ち込んでいるのでその訳を尋ねました。そうすると、彼は、レストランの経営に行き詰まっているというのです。こりゃあ大変だ~ということで、他の仲間たちとも相談して彼の力になろうということになりました。私たちとしてみれば、経営の行き詰まりとは、当然資金問題だと早合点した訳です。
そこで彼に行き詰まりの事情を詳しく尋ねてみると、ポイントは音楽だというのです。まるで狐につままれたような話です。
事情はこうです。彼のレストランの5,6人の従業員は全員不法滞在のメキシコ人や中南米系でした。彼らの仕事ぶりは、例によって非常にルーズで、経営者の日本人にしてみれば日々歯がゆい思いの連続だというのです。店に出勤してくる時間もルーズなら、勤務態度も遊び半分です。経営者の彼は、日本人の感覚として、仕事は脇目も振らず無駄な私語もせず一生懸命にやるべきものだと信じています。しかし、従業員は、仕事をしているというよりは、持ち込んだラジカセの音楽に合わせて踊っているようなものだそうです。
そこで、彼は、仕事中の音楽を禁止しました。ところが、どんなに強要しても効果がなく、彼が現場を離れると、ラジカセは最大限の音量で音楽を奏で、彼流にいえば、仕事よりも踊っているという体たらくに逆戻りするそうです。業を煮やした彼は、ついに従業員かららラジカセを取り上げたそうです。そうしたら、全員がお店を辞めるといってきたのです。
勿論、どんなにルーズな仕事ぶりとはいえ、それなりの規模のお店に従業員なしでは経営ができません。彼は、従業員の兄貴分のような男を呼び、懇々と説得し、仕事とは斯くあるべきであるとか、待遇面での向上なども約束し、全員を説得するように頼みました。責任感の強いその兄貴分は、経営者と仲間に挟まれて随分悩んだようですが、ついに「僕には彼らを説得はできない」といってきたそうです。
それにしても、彼らは不法滞在者で不法就労者です。お店を辞めれば収入の道は絶たれ、生活は困窮し、下手をすると犯罪にも手を染め、挙句は強制退去、または祖国へ強制送還になる者も出てくるはずです。それにも拘らず、ラジカセと仕事場の音楽を返してくれなければお店を辞めるというのです。
彼らは本当に貧乏です。でも、差し当たって今日明日が食べてゆければ、お金や賃金にそんなに拘っていません。音楽のある毎日は、安定した将来よりも彼らにとっては遥かに価値があり、捨てがたいものなのです。音楽のない一日なんて、彼らには考えられないものなのでしょう。彼らの人生は、日本人の私たちに比べ、遥かに気楽で自由で、それこそ「アスタマニアーナ!」(なんとかなるさ、というスペイン語)なのです。
ついに経営者の友人は、生まれて以来身につけてきた「仕事」というものの厳粛な信念を、かなりの挫折感の中で曲げ、従業員の職場での音楽を承諾したそうです。
その時、彼はつくづく「文化の違いだなァ~!」と述懐していました。
余談になりますが、外国で外国人の中で暮らすということは、正に日々文化と価値観の違いとの葛藤です。観光客なら、物珍しく見過ごすことも出来ますが、実際に外国に住むということは、抜き差しならなく納得せざるを得ないギャップと対峙することでもあるのです。

2006/9/19 火曜日

9月19日(火)/晴・曇・強風

カテゴリー: 未分類 — zen @ 4:09:39

昨日、台風13号が日本海側をかすめて北東へ去った。
今日の目まぐるしい気象は、なまじ台風の直接的な影響を受けなかったが為に、却って台風一過の晴天とはならなかったということらしく、晴れたと思えばたちまちに雲におおわれ、絶え間なく強風が吹き荒れている。
台風13号は、情報によれば、東北・北海道に再上陸して被害をもたらす可能性があると警戒を呼び掛けている。思えば、今を去る10数年前、青森に再上陸した台風が、リンゴに甚大な被害を与え、手掛けていたリンゴ関係のキャンペーンの仕事が、一晩にして無に帰したことがあった。
一年かけて丹精した作物が、一夜にして壊滅した現場を目の当たりにして、自然の脅威のもの凄さよりも、何故か人生の無常を思い知らされたことが、今も記憶に鮮明である。あんな無惨な被害が再び起こらないことを切に願っている。

先日、70歳の誕生日を迎えた。
私としては、60の次は70という当然のなりゆきと考え、70歳の誕生日にことのほか感慨はなかった。
ところが、ある方から、『恙無く古稀を迎えられたことを寿ぎ、お慶びを申し上げます』という祝辞を頂いた。言葉としての古稀が70歳を意味し、通例として長寿(現代ではそうともいえないが)の入口に立ったことを祝うものであることは知っている。しかし、自らに古稀の祝いを身にまとってみて、何故か愕然とした。70歳と古稀が同義であることは分かり切ったことであるのに、本人にとって受け止める意味合いとインパクトは全く別のものだった。
それは丁度、はじめて乗り物で席を譲られた時の当惑に似ていた。自分では年寄りを見かけたら席を譲る気構えでいたのに逆に席を譲られたという、客観的に紛れもなく私が老人であったと審判された驚きである。いや、私の心中に、無視し続けていた老いという自覚はあったはずだ。しかし、人知れず、上手に隠し通していると思っていたのに、それを見事に暴露されてしまったような当惑だった。
古稀を祝われてみて、はじめて70年の来し方を思った。
事細かに或る一年をひも解いてみれば、それは様々な人々とその思惑に行き惑い、思いもかけぬしがらみに絡められ、努力の成果と落胆の波間に浮沈し、勝算もない戦いに見せ掛けの優勢を誇示し、一刻の休養と睡眠を渇望し、日と日の区切りもない活動に自らを鞭打ち、それは驚くばかりに濃密に綴られ、組み立てられている。それが70回も繰り返されたかと思えば、70年は驚くばかりに永い。
しかしまた、65年も昔の幼稚園生の頃、保母に引率されて傷痍軍人の見舞いに病院へ出掛けたという1コマを思い浮かべると、それはつい数日前のことのようにも思えてならない。
邯鄲の枕を借りて炉辺でうたた寝した盧生が、必死の努力の結果次第に立身出世し、遂には栄華を極める夢を見るが、目覚めてみれば鍋の黄梁が煮える間だったという、人生は正に『黄梁一炊の夢』でしかないのだろうか。
私の禅の師匠・菅原義道師は、生前、揮毫を求められると「夢一生」と書かれた。良寛は、貞心尼への返歌に「夢の世に かつまどろみて 夢をまた かたるも夢も それがまにまに」と詠まれた。また、多くの禅僧が『夢』の字を揮毫されるが、夢窓国師の『夢』の墨蹟は国宝としても名高い。
不思議なものである。古稀の言葉を自らのものとして受け止めて以来、先人たちの語った夢の間の生涯というものが見えてきた気がする。そして、まだまだ若いと見栄を張り、はり切ればはリ切るほどに、身振り手振りの隙間に老いが見え隠れする。
まあ、癒えることない生来の偏屈が災いして歳不相応に張り切り、今こそ青春などと嘯き、臆面も無く老醜を曝しながらも自分らしく老いを重ねて行く以外、私には辿るべき道がないこともよく知っているつもりだ。やりたいことは、まだまだ、どっさり残っている。

2006/8/25 金曜日

8月25日(金)/曇り・30℃

カテゴリー: 未分類 — zen @ 6:39:58

今朝から急に秋風が立った。
開け放った枕元の窓から吹き込む風が、レースのカーテンを私の顔にまとわりつかせる。その風がなんとも爽やかで、未明、夢見心地に秋風がそよぎ始めたことを感じていた。
待ち焦がれていたのに、永過ぎた梅雨に阻まれた夏が、到来したと思ったらあっという間に過ぎて行く。今年は何回かヨットにも乗ったし、鎌倉の海浜で泳ぐことも出来た。だから、いつもの夏よりは濃密な季節を過ごしたはずなのに、過ぎてゆく夏は今年も特別な寂寥感を帯びている。

航海をリタイアしてもう何年も経つのに、今頃、ふっと気づいたことがある。
それは、風には音がないということだ。ピュ~ピュ~とか、或いはゴーゴーと風が吹くというし、私たちの身の回りでは確かに風は鳴っている。
しかし、大洋のど真ん中では、風に音がない。
木の葉が風で擦れ合ったり、細い電線やヨットのステイのようなものが風を切り裂いたり、深い森全体が風に揺れ、副次的に呻くような山鳴りを発したり、いわゆる、風が何かにぶち当たることでその物体固有の音を出す。時には、『口笛吹の少年』(私の作品集に収録)のように、ヨットの船尾をガードするステンレスの手すり(スターンパルピット)に穿った小さな穴に風がもぐり込み、笛のように高い吹奏音を発することもある。
風速18メートルといえば結構な強風で、陸上なら様々な雑音を聞くことになるが、洋上でこの程度の風の音を聞いたことがない。陸の人間がほとんど体験することがない風速40メートルの大型台風にもなると、風(空気)の塊同士が、洋上遥か上空でぶつかり合うゴ~~~!という腹に堪える唸りを聞くが、こんなのは7年間航海を続けて、たった一回しか経験がない。これだって、風が、別の風にぶち当たったことで発する音だ。
勿論、波が船べりにそって流れる音や大きなうねりが船体のぶち当たる音、または、セールが裏風を受けてバタバタとシバーする音、ヨットのシート(ロープ)類がブロックや船体の木部にこすれて鳴るギ、ギ、ギギギ~なんて音は聞こえるし、風はヨットそのものに当たって音を発しているから、艇上が無音というのことではない。つまり、風に逆らう時、その逆らう物固有の音を発するので、風そのものには、かなり強く吹いても音がない。(「逆らう」という言葉には自動詞性が感じられて適切ではない。日本語にピッタリ当てはまる言葉が見つからないが、あえていえば“Against”という英語が適当と思われる。この単語は、逆らうという意味もあるが、もたれ掛かるといったニュアンスもある。)
だから、セールがジャストトリムで全く抵抗なくセール上をスムーズに風が流れ、艇速とうねりの速さ、さらのに艇の長さとうねりの波長が絶妙に調和した時、ヨットは海面を滑るように走り、艇上は全くの静寂に包まれる。そんな時、ふと自分の声が本当に音として発しられているかどうか全く不安になって、しきりに意味もない絶叫を洋上に撒き散らしたものだ。今回、久し振りに大型クルーザーに乗る機会を得て、激動の中のあのえも言われぬ静謐を思い出した。
今まで、どうしてそれに気がつかなかったのだろう。不思議といえば全く不思議な話だが、私たちの周囲には常に音があり、また動くものにはそれぞれ固有の音があって当然という先入観が、ありもしない音を恰も聞こえているかのように思わせていたのに違いない。
「動中静あり」とは、ある種の極意であろうが、風には音がないという事実に気づいたことは、当たり前のことを当たり前に受け止めたということか。極意とは、当たり前に気づくということなのかも知れない。

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