■Part 2・The West Coast of USA

《その先の海》

[トーマスという隣人]


 スクンメーカー・マリーナで、[禅]を係留したドックはF1だった。その隣、つまりF2には、[ダンディライオン]というヨットがいた。ダンディライオンとは、『タンポポ』という意味だ。

 しかし、[ダンディライオン]のオーナーは、およそタンポポ的に可憐でも可愛らしくもなかった。どちらかというと、タンポポ・イメージの対極といった恐ろしく無骨な初老のアイルランド人だった。

 彼は、トーマスといった。トーマスは、通常トムと略称するものだが、彼は、トムではなくトーマスであると自己紹介した。

 僕がスクンメーカーに着いた日の夕方、彼は、ドックから叫んだ。

「おーい、zen。おまえはジャパニーズだから、寿司が好きだろ。シスコの名物はカリフォルニア・ロールだ。いっしょに食おうぜ」これが、彼の初対面の辞だった。

 その英語が物凄い。僕など、人の英語をとやかくいえる柄じゃないが、それでも、やっぱり凄い。何訛りといえばいいのだろう。ラテン系とか、ドイツ系とか、またはフランス系とかの訛りは聞き慣れていたが、こんなのは初めてだった。アイルランド人というのだから、アイルランド訛りなんだろうか・・・。でも、アイルランドって、いろいろ事情があるようだけど、イギリスの一部であり、れっきとした英語国ではないのか?

「僕も英語は下手だけど、トーマスも英語は上手じゃないね」といったら、「そうか」といって、トーマスはちょっと落胆した様子だった。その辺りからしておかしな人だ。(後に分ったことだが、これは彼のベトナムでの戦傷が原因だった。悪いことをしたと思っている。)

 彼は秘密好きな人物だった。

 例えば、彼に用があって[ダンディライオン]を訪ねたとする。しかし、彼は、決して誰も彼のヨットに立ち入らせようとはしない。或る時、僕は、どうしてヨットに誰も入れないのかと尋ねた。そうしたら、トーマスは、オレの船には、キミが知らないほうがいい秘密がどっさりあるからだといった。僕が、どんな秘密?と聞くと、しばらく沈黙し、そしていった。

「オレは以前、IRA(アイルランド共和軍=反英武力組織)の戦士だった。今オレは、アイルランドからもイギリスからも追われている身だ」といった。嘘に決まっているが、でも、嘘だと断言できる根拠なんかどこにもない。

 そうかと思うと、彼は今もなお、主にアメリカ国内のシンパから献金を募り、資金面でIRAの武力活動をサポートしているともいった。

 家族はなく、天涯孤独だといったかと思うと、僕に一枚の写真を見せ、

「美人だろう。オレの娘だ」といったりする。だから僕は、

「トーマス、キミのいうことは矛盾だらけだ。一体、本当のキミはどこにいるんだい?」と尋ねた。そうしたら、彼は悠然といったものだ。

「zen、この世に矛盾のない人間なんていると思うかね?そして、矛盾のない人生も?」

答えにはなっていなかったけど、僕は一応納得することにした。いわれてみれば、僕なんか、彼よりもっと辻褄の合わない人生を生きているかも知れないのだから。


**


 或る日、マリーナ・オフィスを訪ねた僕に、ビルが新聞を見せてくれた。

 新聞には、ベトナム戦傷者の集会で、自由討論会のパネラーの一人として、壇上に鎮座するトーマスの写真が載っていた。そして、数行の彼の略歴も。

 それによると、彼は、アイルランド出身のアメリカ人で、ベトナム戦争で九死に一生の負傷をし、ために今なお重い障害に苦しんでいるとあった。僕の興味を引いたのは、その次の行だった。

 トーマスは、彼を庇ってベトナムで命を落とした戦友の遺族を扶養している。多くの証言がその事実を証明しているのに、トーマス本人は、決してそれを認めようとはしないと書かれていた。

 その夜、僕は、トーマスを[禅]に招きマティニーをご馳走した。

 僕が、レシピ通りのマティニーを作って彼に飲ませると、もっとドライにしてくれという。フレンチ・ベルモットを半分に減らし、その分ジンを増やしたが、それでももっとドライにという。終いには、ジンを三オンス、ベルモットは、まるでビターズのように数滴落とすという具合になった。そのレシピが決まるまで、彼は五杯のマティニーを飲んでいたから、それからの数杯で、トーマスは完全に酔っ払ってしまった。

 僕は、人が秘密にしたいと思うものを無理矢理聞き出そうなんて趣味はない。ただ、日中に読んだ新聞の記事が、自然に僕らの話題になった。そして僕は、戦友の家族を扶養しているというのは本当かい?と尋ねた。

「あれは、オレの最高機密だが、zenだけに話す。絶対に誰にも云っちゃいかん。

 あれは事実だ。一九七三年から今日まで、オレは、メアリーと彼女の家族を扶養してきた。

 ジェミーはオレの幼馴染で親友で、そして戦友だった。一九七〇年の或る日、ベトナムのジャングルで五メートル先に砲弾が炸裂した。ジェミーは、押し倒すようにオレの上に覆い被さった。爆発の後、オレの耳には自分の声も聞こえなかった。オレは『ジェミー!ジェミー!』と叫んだ。しかし、彼は動かなかず、のしかかるジェミーの重さだけしか感じなかった。オレはジェミーの下から這い出した。

 ジェミーの脇腹が裂け、右腕が肩口から千切れてそこから血が噴き出していた。仰向けにしてジェミーの顔を見ると、微かな意識の中で、彼はオレの顔を見て笑った。そして、口の形で『無事だったか?』といった。

『このドジ野郎!オレを助けて、自分が負傷しやがって、この大馬鹿野郎!』オレは、感謝いっぱいの叫びで奴を罵倒した。そして、オレも脊髄にひどい怪我をしていた。

 彼の顔色は、失血のため、みるみる蒼ざめていった。誰の目からも、あと数分の命と知れた。ジェミーの笑みが消え、深刻な憂いが見えた。それが残して行く家族に向けられたものであることは、親友のオレには分った。そして、オレはいった。

『ジェミー、家族のことは心配するな。オレが彼らを養い、子供達には立派な教育を受けさせる』

 ジェミーの顔から憂いの表情が消え、安らかな微笑みを浮かべ、彼は死んだ。

 親友がオレの命を救ってくれた。そしてオレは、彼に家族を養うと約束した。だから、これはオレとジェミーの全く個人的な約束事だ。新聞に書き立てたり、人の噂がどうこういう問題じゃない。それに、この事実が明らかになった場合、世間に対し、子供達が負い目を感じないとはいえない。だからオレは、これを秘密にしてきた」

 誰にでも出来ることじゃない。凄いことじゃないか。僕は、二十二年間も続けてきた彼の偉業と、そのことによって規定されていった彼の人生を思った。

「でも、二十二年も経ったら、子供達はもう立派に成人しているだろう?」

「三人の子供がいるが、末っ子が今年でマスターコースを卒業する」

「子供達は、トーマスの援助を全く知らないのだろうか?」

「いや、知っていると思う。オレがクリスマスに訪ねて行くと、みんなとても喜んでオレを歓迎してくれるよ」

「それじゃあ、世間にいいふらさないまでも、そんなに頑迷に秘密にする必要ないじゃないか」

 そうすると、トーマスはしばらく沈黙した。カクテルグラスの細い足を、指先でくるくる回しながら、何だか、一大決心をしようとするように、その指を見つめていた。

「zenのいうとおりだ。しかし、オレにはもう一つの秘密がある。いや、これが本当の秘密かも知れんな。

 ジェミーとオレは、若い頃、故郷のウイックロー(アイルランドの中都市)で、同時に、しかも同じ女性に恋をした。その相手がメアリーだった。そして、この熾烈な恋の戦いはジェミーに軍配が上がった。それでもオレたちは親友同士で、友情に少しの変化もなかった。結婚もせず、定職も持たずふらふらしていたオレを、アメリカへの移住に誘ってくれたのもメアリーとジェミーだった。

 恐らく、ジェミーが息を引き取った時、オレが彼の家族の面倒をみるというよりは、メアリーと結婚して彼の家庭を引き継いでくれればいいと考えたかも知れない。多分、そうだろう。でも、オレにはそれが出来なかった。何故なら、メアリーをオレのものにするという役得つきで家族の面倒をみることは、ジェミーが仮にそれを望んだとしても、オレの気持でいえば、親友に対する約束に利害が絡む。分るか?純粋な約束が濁るんだ。

 メアリーだって、オレの気持を知っていたから、オレが結婚を申し込めば、きっと快諾してくれただろうよ。でもなァ、zen、オレにはそれが出来なかった・・・」トーマスは、そういってグラスに残ったほとんどジンばかりのマテニーを飲み干した。バルクヘッド(船の仕切り壁)の舶用時計に目をやり、彼は腰を上げた。

「今夜は、随分いろんなことを話してしまった。こんなに洗いざらい自分のことを話したのは、ベトナムの塹壕の中以来はじめてだ。

 そんな訳で、オレが親友との約束を果たすことが、下心あってのことと思われたくなくて、このことを秘密にしてきた。そして、困ったことに、オレには下心がある。オレは、今なおメアリーを愛しているからだ。これで、オレの人生は八方塞がりということになってしまった。矛盾なく人生を歩めたらどんなにいいだろうと思うが、セ・ラ・ヴィ(それが人生というものさ)。おやすみ、zen」

 僕は、とんでもない話を聞いてしまった。トーマスが帰った後、僕はしばらく、キャビンのソファに座ってぼーっとしていた。


***


 翌日会ったトーマスは、また、いつものチャランポランの彼に戻っていた。しかし、昨夜のことに触れようともしないのに、トーマスは僕の視線を避けている様子だった。

 さらにその翌日、朝起きてみると、隣のF2ドックが空っぽで、[ダンディライオン]の姿がなかった。数日のクルーズにでも出掛けたのかと思っていたら、マリーナ・オフィスのビルが、トーマスはアラスカへ行ったと教えてくれた。こんな秋口からアラスカへ行くなんて常識的に考えられないことだったが、トーマスのことだから、何を仕出かすか分らない。そう思っていたら、その日の午後、サンフランシスコ市警の刑事が二人、ビルといっしょに僕を訪ねて来た。彼らは、トーマスを探しているといった。そして、僕に、彼が行きそうな所の心当たりはないかと尋ねた。

 僕は、当然、知らないと答えた。そうしたら、彼らはとても困った様子を見せ、早く彼を見つけないと、トーマスにとって辛いことになるといった。どういう風に彼が辛い立場になるのかと尋ねると、彼は保護されるべき状況にあるのだと刑事が答えた。僕には、何のことか見当もつかなかった。でも、トーマスが不幸になることは、僕にとっても辛いことだ。そこで僕は、

「事情は分らないけど、彼が口にした名前で『メアリー』というのがあった」といった。そうしたら、

「あァ、メアリーのことなら知っているよ。いろいろ彼のことを調べてゆくと、メアリーという名前が出てくるんだ。でも、それが実在の女性という確証は、今のところ何もない。どちらかというと、私たちは、メアリーは彼の想像上の人物という見解で一致している。ベトナムが彼の人生を変えたんだ。ベトナムの狂気が、彼を、想像の世界でしか生きられない人間にしてしまったのさ」といった。

「エッ、想像の女性?想像の世界・・・?」僕は、びっくりした。あれほどトーマスが思い詰めて話していたことなのに・・・?

 ベトナム戦争の傷跡を、僕はアメリカの至る所で見た。それは、際限なくアメリカとアメリカ人の心を蝕んでいた。泥沼のような虚無感、自らを打ち砕き、どこまでも突き陥して止まない破滅感、そして人格破壊。しかし、こんなに身近なトーマスまでが・・・。

 僕は、ますます彼が分らなくなってしまった。そして、今後とも、例え僕が彼の傍にいたとしても、トーマスのことは理解出来ないかも知れないと思った。

 彼は、彼だけの想像の世界で生きている。その中に、夢や人生の矛盾や閉塞感なんかをどっさり持ち込んで・・・。でも、出来ることなら、トーマスがもう少し幸せになれる矛盾も、彼の人生に持ち込んでくれたらいいのに、と僕は思った。



[さらば、サゥサリート]



 サゥサリートを出航する前日、高橋くんは僕を釣りに連れて行ってくれた。

 彼の二十五フィートのパワーボートで、三十分ほど走った。エンジェル・アイランドを過ぎ、サクラメントに通じるサンパブロ・ストレィトの入口近いレッド・ロック辺りが釣り場だったろうと思うが自信はない。

 どういう訳か、僕は、アメリカ西海岸の地形が頭に入らない。チャートを研究して、通常なら大まかに方向くらいは掴めるものなのに、ファン・デ・フカを出て以来、どこをどう走っているのか、感覚的に、どうしても判然としなかった。そして、このサンフランシスコ・ベイも例外ではなかった。高橋くんが入漁チケットや餌などを買いに立ち寄った港がどこなのか、はたして北へ走ったのかどうかさえも確かではない。

 とにかく、今日ばかりは、船頭は僕じゃない。エンジンの凄まじい震動に辟易としながらも、何とか釣り場に到着した。

 魚探が、ボートの下を通るスズキの魚影をいくつも捉えていたけど、どうした訳かさっぱり当たりがなかった。聞くと、今日の釣果が、この後、高橋くんの家でのご馳走になるらしい。そういう事情にはお構いなしに、僕等のタックルにはついにスズキの釣果はなかった。

 夕方、僕は、彼等のティブロンの家へ招かれた。それは、家というにはあまりにも豪邸に過ぎた。

 そもそもティブロンという所は、サンフランシスコの対岸に位置し、ベルベデーレという岬に囲まれた港を擁する美しく静かな、アメリカでも屈指の贅沢な小村だ。海に迫った山の斜面に普通の家はない。考えられる限りの贅を尽したお屋敷ばかりなのだ。住人はというと、各界のトップレベルの著名人や、ハリウッドの超一流のスターなど。さらに、対岸にサンフランシスコが見えることが、ティブロンでも最高の場所といわれる。そして、高橋くんの家は、真正面にサンフランシスコの摩天楼の灯が、夕闇の淡い靄の中に、燦然と煌いていた。

 チャコは、僕にお風呂を勧めてくれた。その風呂場がまた、僕を驚嘆させた。大理石造りの十畳ほどのバスルームに、まるで工芸品として緻密に作られた船のような大きな湯舟があった。油をひいたように滑らかなそれは、最高級のチークのブランキングで出来ていて、何だか、僕の垢だらけの体を寛がせるには、あまりにも豪華過ぎると思った。

 僕は、四ヵ月ぶりの風呂を心ゆくまで堪能した。ベランダで、汗ばむ肌に涼しい風を当てていると、目の前には、海を隔ててサンフランシスコの豪華な夜景が展がっていた。何という奢侈だろう。ふと、眼下の広い庭を見下ろすと、仄かな庭園灯の明かりに数頭の鹿が見えた。チャコの説明によると、鹿のファミリーが最近住みついたようだという。どうしてこれほどの贅沢な暮らしが彼等に出来るのだろう。不躾にも、僕は、その疑問を彼等に問わずにはいられなかった。

 高橋くんは、大学を出るとすぐにサンフランシスコへ渡った。そして、サンフランシスコで、ジーンズの古着を買い漁ったそうだ。それを繕い、商品に仕上げ、原宿に店を開いて売ったら、信じ難いほど売れた。

 大掛かりな設備投資も人件費もかからず、しかも商品になるジーンズは、原価としては限りなくタダに近い。

 しかし、苦労も並大抵のものではなかったという。古着を買い漁るということで、彼は、随分蔑まれたそうだ。通常なら表面には表れない人種差別が露骨に彼を苦しめた。そんな中で、彼は歯を食いしばって頑張った。労少なくして利が厚いと妬むのは簡単だ。しかし、彼のこの苦労は生易しいものではないし、それに、彼のアイディアと事業センスは誰にも真似の出来るものではない。僕は、その結実としてのこの奢侈を、なるほどと思った。

 余談になるが、僕がサンフランシスコに入港してすぐ、マリーナで無視されるという不愉快な経験をしたことが話題になった。高橋くんは、「それが人種差別なんですよ」といった。

 あれは、僕にとって初めての、不思議で不快な感覚だった。被差別者は、こういう重苦しい不快を日常的に経験し、耐えているという訳だ。僕は、アメリカ文化の、決して消えることがない隠された側面を垣間見る思いがした。

 念のためにいっておくが、差別はアメリカに限ったことではない。オーストラリアには、白豪主義というのがあって、白人以外とは口も利かぬという人たちもいる。教養が、差別感を意識の陰に隠しているだけで、世界には、まだまだ根深い人種差別が存在する。


**


 十月一日、快晴、微風。絶好のロング・クルーズ日和だ。午前十時半、僕は、素晴らしい想い出をヨットいっぱいに積み込んで、サゥサリートを後にした。大都会よりも遥かに洗練されたサゥサリートは、いつかまた訪れたいヴィレッジだった。そんな思いを残して、僕は、十一時二十分、ゴールデンゲート・ブリッジを潜った。

 来た時ほどではなかったが、やっぱり潮波は激しく、[禅]は揉みくちゃにされた。そして、順風の期待は虚しく、北西の強風が吹いていた。ゴールデンゲートの外は、陸地に手が届くほどの位置でも明らかに外洋だった。そのくせ、水深は十五メーターほどしかない。ために、タチの悪い波は十五浬沖まで続いた。

 しばらく楽をし過ぎたので、航海は辛かった。しかも、ベイの中では八ノットしかなかった風が、外洋に出た途端、嵩にかかって二十五ノットも吹いていた。僕は、船酔い気味だった。

 そこへもってきて、ジブ・シートのウインチからハンドルを外そうとして、左中指を金物に挟み、抉るような傷を負った。出血がひどく、それを見ているうちに、何も彼も嫌気が差してきた。一生懸命気を引き立てようとしたが、船酔い、風邪の微熱と気怠るさ、指の怪我などが絡み合って、さっぱり意気が上がらない。こんな状態で、マリーナ・デル・レイまでの三六〇浬が乗り切れるのだろうか?

 長距離航海者といったって、僕はまだ駆け出しだった。今なら、そういう時の凌ぎ方も臨機応変に見つけられるだろうけど、あの頃は、決めた目的地しか頭になかった。

 今、あらためてチャートを見ると、素晴らしい港がいくらでもある。ハーフムーン・ベイ、モンテレー・ベイ、モロ・ベイ・・・。モンテレーには、サンタクルーズやモス・ランディング、そしてモンテレー・ハーバーなどの港があった。クルージング・ガイドのマリーナやアンカレッジの図を見ると、あの時、何故それらの港へ行って休息し、荒んだ心を癒さなかったかと思う。航海に未熟で、そこまで頭が回らなかったという以外いいようもないが、あの辺りでほんの僅かでも心の余裕を回復していたら、恐らく、後の航海に、あれほどの苦痛を覚えることはなかったのかも知れない。


***


 二十三時、風が十ノットになった。波も穏やかになり、月影が波間に揺れていた。ヤケッパチな僕の気分も、いくらか余裕を取り戻せそうだった。これで、二、三時間でもいいから眠れたら・・・。しかし、船の往来が激しく、片時もウォッチを休む訳にはいかない。

 風は真追っ手で、ローリングが物凄い。何時ワイルド・ジャイブ(舷外に広げた主帆が猛烈な勢いで反対舷へ返るアクシデント)が起きても不思議はない。そんな状況では、居眠りだって出来はしない。ただ、慰めは、美しい月光の海、そして、午前四時、月が沈んでからの燦然たる星空だった。

 夜が明けるにつれ、風は力を失っていった。在るか無しかの風を拾って、[禅]はのろのろと南下した。そして、二日の午前九時半、ついに風が絶えた。

 気象ファックスには、西海上にやや優勢な低気圧があって、東へ進んでいた。明日の昼頃にはこの辺に差し掛かると見えた。ヒーブツーをしてのんびり構えている暇はない。

 僕は、エンジンをスタートさせた。大きく広げたメインセールが、時々風を孕むようだった。つまり、五、六ノットほどの北風があった。その風が、エンジンの排気をコックピットへ吹き戻した。長時間、排気ガスを吸っていると、ひどい頭痛がし出した。それでも、来ると分っている低気圧を、そこに留まって待っている訳にはいかない。少しでも南下して、時化の圏外へ出なくては・・・。

 気分はもう最悪だったが、遮るものもない太平洋へ沈むあの夕日は、僕をどんなに慰めてくれたことだろう。

 水平線に近づくと、太陽は様々な変容を見せる。はじめは、巨大な太陽の円形から水平線へ太い幹が達し、マッシュルームかキノコ雲のような形になる。その幹がだんだん短くなって太陽が水平線に触れると、やや扁平な大福もちになったり、くびれて二段重ねの鏡餅のようになったり、或いは四角形になったりしながら、次第に姿を隠してゆく。その移り身は、正に変幻自在だ。もう、ほとんど太陽が水平線に沈み尽くそうという時、まるで最後の力を振り絞るように、ほんの僅かな一点が真っ赤な炭火のように燃え、瞬間、ポッと全てが消える。

 全ての色合いがペールになり、ものの形が曖昧に溶けてゆくと、東の空にはもう夜が兆し始める。宵の明星が、遥か東の空でキラリと輝けば、感覚的に今日が終わる。

 イヴェントは終わった。さあ、ナイト・ウォッチの準備だ。




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