12月15日(水)/曇・11℃

とても寒い一日でした。空は雲に蔽われ、今にも雨が降り出しそうでした。そして、冷たい北風がスェーターを通して肌に突き刺さります。団地の広場にひときわ高く聳えるケヤキは、つい数日前まで残照にキラキラと輝いていた黄金色の葉を、もうほとんど残していません。人々は心もち背を屈め、首を竦めるようにそそくさと歩いています。
広場の中心にはモニュメントがあり、それを取り囲むように石のベンチが並んでいます。
そのベンチに、立てた杖に両方の掌を重ね、その上に顎をのせて腰掛けている老人が
いました。目だけが、走り回る子供たちを追い、時折、淡い煙ほどの笑みが眼差しをよぎります。
僕はいつものウォーキングです。葉が落ちつくしたケヤキを見上げ、そして、広場をざっと見渡した時、視界の隅に老人が腰掛けていた訳です。
巨大な住宅団地はひとつの街を形成していて、そこには高層住宅群の無機的な質感と
はうらはらに人間臭い生活感が漂っているものです。
きちんと整頓された自転車置き場の隅に、三輪車やプラスチックの玩具の自動車が一人前の顔をして並んでいたり、子供の声やそれに応える母親の声が聞こえてきます。お風呂場の小窓からは洗ったばかりの子供のズック靴が半分顔を出してしずくを滴らせていたり、どこからか鯖の味噌煮を調理する美味しそうな匂いもしてきたりします。
団地は、それぞれの棟に道が通じ、それが次の棟へと繋がっています。ですから、団地内は、それこそ迷路のように入り組んだ素晴らしい散歩道なのです。しかも、或る棟を過ぎると、そこは小さな公園やちょっとした球技用のグランドになっていたりして、飽きることがありません。
僕は、通りすがりに目が合う人には必ず挨拶をします。勿論、全ての人が挨拶を返してくれる訳ではありませんが、そんなことは一向にかまいません。時には、簡単な天気の話を交わすこともあり、さらに、どちらの棟にお住まいですか?などと立ち話になることもあります。
そんな風に小一時間も歩いて、また広場に差し掛かりました。
さっきの老人が、さっきと同じ姿勢でベンチに腰掛けていました。こんな天気なのに、石のベンチに腰掛けて寒くはないのかしらと気になりました。老人は黒い外套を着込み毛糸の帽子を被っています。首の辺りにはぞんざいにラクダ色のマフラーが巻きついていますが、手袋は嵌めていません。手が寒さで真っ赤になっているのに、冷たさを辛いと感じている様子もありません。僕は隣のベンチに腰を下ろし、老人に声をかけました。
「こんにちは。寒い一日でしたね」
「あゝ」と老人が答え、相変わらず目だけが自転車で走り回る子供たちを追っています。
「さっきからここに腰掛けていらっしゃいますが、誰かをお待ちですか?」
「あゝ、ばあさんを待ってるの」
「そこのマーケットでお買い物してるんですね。でも、随分長いお買い物ですね」
「うん、もう随分待ったなァ。もう迎えに来てもいい頃だがなァ。じきに日が暮れるというのになァ」老人は心もとなさそうに呟きました。
「お住まいはこの団地ですか?」
「うん、その先の・・・」
その時、中年の女性が駆け寄ってきました。
「おじいちゃん、やっぱりここだったのね」女性はそういって僕を見て何か口ごもっている様子でした。僕は身内の方が迎えにみえたと思い安心して立ち去ろうとしました。
「あの、私、おじいちゃんの介護ヘルパーなんですけど、お知り合いの方でしょうか?」
「いえ、通りかかりの者ですが、この寒空に随分長い間このベンチに腰掛けていらっしゃるので、気になって声をお掛けしたんです。おばあちゃんを待っていらっしゃると・・・・・」
「そうでしたか、ご親切にありがとうございます。お婆ちゃんは2ヶ月前にお亡くなりになりました。れからお爺ちゃんの徘徊が始まって・・・今日も、2時間以上もあちこち探しました」
ちょっと恨みっぽくそういいながら、老人を見る彼女の目は優しさを湛えていました。
女性は、腕を取って老人が立ち上がるのを助け、老人の背中の手を添えるようにして歩き出しました。その覚束ない足取りが、夕暮れも間近な不鮮明な光の中を遠ざかる時、僕は、はっきりとお爺さんに寄り添って歩くお婆さんが見えたと思いました。

高齢化社会が喧しく議論される中、今年も師走を迎えました。世相は、高齢者にとって益々厳しいものになってゆきます。そんな中、永年連れ添った配偶者に先立たれた老人は、今日僕が出会った人だけではありません。でも、同じ境遇の人が他にもいるからといって、そんなことは何の慰めにもなりません。老年の孤独は、その人ただ一人で噛み締める孤独なのです。「あゝ、ばあさんを待ってるの」・・・・・そういわせる微かなボケが、あの老人のささやかな救いなのかも知れないなァと思いつつ、僕の今日の散歩が終わりました。

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