11月24日(金)/雨・11℃

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2ヶ月もご無沙汰いたしました。私の単なる不精にもかかわらず、知人の方々からは、健康でも害しているのではないかとご心配をいただき、まことに恐縮至極に存じます。
しかしながら、私の身の回りには、あらためて書くべき出来事もございません。日々耳目を捉えるものは、いじめ、自殺、虐待、世間の当たり前の規範を歯牙にもかけぬ偏執的な殺人、それに、何を感じ何を考えているのかと呆れ返る見当ハズレの政治やあまりにも非常識な行政の腐敗・・・ニュースを見るたびに虚脱感、終末観、はたまた、末法の世、平たくいえば「世も末だ!」と唾棄すべき出来事ばかりなのです。
古い映画に「山猫」というバート・ランカスターが主演した物語がありました。その中に、『群れに投じたら頭目を探せ。それが居なければ自分が頭目になれ』という意味の台詞がありました。そして、私はその台詞の信奉者でした。いってみれば、ある種軽薄な正義の味方のお先棒担ぎだったのかも知れません。ですから、昔なら、このやり切れない思いを正さんと、微力と知りつつも情熱を傾けて行動を起こしていたことでしょうが、古希を過ぎてみれば、いつかなそんな気迫も消え失せ、無力感ばかりが残滓のごとく胸の奥に積もるばかりです。
でも、こんなボヤキを書き連ねるなら阿呆にでも出来ることです。しかし、私の身の回りにそれ以外の出来事もありません。従って、「あらためて書くべきこともない」と相成る次第です。

昨日、インターネットでアメリカに住むLindaさんという日本人女性のブログを拝見しました。その中に、セクハラによる訴訟問題が話題になっていて、究極「文化の違い」ということが語られていました。
私も、アメリカをはじめ10数カ国を旅しながら、生活を裏側からしっかり支えている文化の違いを体験し、それが現象面に現れた軽々なるものではないということを実感してきました。
無数にある体験談の中から一つ顕著な事例を挙げてみましょう。
サンディエゴのコンボイという街で日本食レストランを経営する日本人がいました。私たちは、彼が店を終わると、よくいっしょに遊びに出掛けました。
或る日、彼がひどく落ち込んでいるのでその訳を尋ねました。そうすると、彼は、レストランの経営に行き詰まっているというのです。こりゃあ大変だ~ということで、他の仲間たちとも相談して彼の力になろうということになりました。私たちとしてみれば、経営の行き詰まりとは、当然資金問題だと早合点した訳です。
そこで彼に行き詰まりの事情を詳しく尋ねてみると、ポイントは音楽だというのです。まるで狐につままれたような話です。
事情はこうです。彼のレストランの5,6人の従業員は全員不法滞在のメキシコ人や中南米系でした。彼らの仕事ぶりは、例によって非常にルーズで、経営者の日本人にしてみれば日々歯がゆい思いの連続だというのです。店に出勤してくる時間もルーズなら、勤務態度も遊び半分です。経営者の彼は、日本人の感覚として、仕事は脇目も振らず無駄な私語もせず一生懸命にやるべきものだと信じています。しかし、従業員は、仕事をしているというよりは、持ち込んだラジカセの音楽に合わせて踊っているようなものだそうです。
そこで、彼は、仕事中の音楽を禁止しました。ところが、どんなに強要しても効果がなく、彼が現場を離れると、ラジカセは最大限の音量で音楽を奏で、彼流にいえば、仕事よりも踊っているという体たらくに逆戻りするそうです。業を煮やした彼は、ついに従業員かららラジカセを取り上げたそうです。そうしたら、全員がお店を辞めるといってきたのです。
勿論、どんなにルーズな仕事ぶりとはいえ、それなりの規模のお店に従業員なしでは経営ができません。彼は、従業員の兄貴分のような男を呼び、懇々と説得し、仕事とは斯くあるべきであるとか、待遇面での向上なども約束し、全員を説得するように頼みました。責任感の強いその兄貴分は、経営者と仲間に挟まれて随分悩んだようですが、ついに「僕には彼らを説得はできない」といってきたそうです。
それにしても、彼らは不法滞在者で不法就労者です。お店を辞めれば収入の道は絶たれ、生活は困窮し、下手をすると犯罪にも手を染め、挙句は強制退去、または祖国へ強制送還になる者も出てくるはずです。それにも拘らず、ラジカセと仕事場の音楽を返してくれなければお店を辞めるというのです。
彼らは本当に貧乏です。でも、差し当たって今日明日が食べてゆければ、お金や賃金にそんなに拘っていません。音楽のある毎日は、安定した将来よりも彼らにとっては遥かに価値があり、捨てがたいものなのです。音楽のない一日なんて、彼らには考えられないものなのでしょう。彼らの人生は、日本人の私たちに比べ、遥かに気楽で自由で、それこそ「アスタマニアーナ!」(なんとかなるさ、というスペイン語)なのです。
ついに経営者の友人は、生まれて以来身につけてきた「仕事」というものの厳粛な信念を、かなりの挫折感の中で曲げ、従業員の職場での音楽を承諾したそうです。
その時、彼はつくづく「文化の違いだなァ~!」と述懐していました。
余談になりますが、外国で外国人の中で暮らすということは、正に日々文化と価値観の違いとの葛藤です。観光客なら、物珍しく見過ごすことも出来ますが、実際に外国に住むということは、抜き差しならなく納得せざるを得ないギャップと対峙することでもあるのです。

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