8月25日(金)/曇り・30℃

今朝から急に秋風が立った。
開け放った枕元の窓から吹き込む風が、レースのカーテンを私の顔にまとわりつかせる。その風がなんとも爽やかで、未明、夢見心地に秋風がそよぎ始めたことを感じていた。
待ち焦がれていたのに、永過ぎた梅雨に阻まれた夏が、到来したと思ったらあっという間に過ぎて行く。今年は何回かヨットにも乗ったし、鎌倉の海浜で泳ぐことも出来た。だから、いつもの夏よりは濃密な季節を過ごしたはずなのに、過ぎてゆく夏は今年も特別な寂寥感を帯びている。

航海をリタイアしてもう何年も経つのに、今頃、ふっと気づいたことがある。
それは、風には音がないということだ。ピュ~ピュ~とか、或いはゴーゴーと風が吹くというし、私たちの身の回りでは確かに風は鳴っている。
しかし、大洋のど真ん中では、風に音がない。
木の葉が風で擦れ合ったり、細い電線やヨットのステイのようなものが風を切り裂いたり、深い森全体が風に揺れ、副次的に呻くような山鳴りを発したり、いわゆる、風が何かにぶち当たることでその物体固有の音を出す。時には、『口笛吹の少年』(私の作品集に収録)のように、ヨットの船尾をガードするステンレスの手すり(スターンパルピット)に穿った小さな穴に風がもぐり込み、笛のように高い吹奏音を発することもある。
風速18メートルといえば結構な強風で、陸上なら様々な雑音を聞くことになるが、洋上でこの程度の風の音を聞いたことがない。陸の人間がほとんど体験することがない風速40メートルの大型台風にもなると、風(空気)の塊同士が、洋上遥か上空でぶつかり合うゴ~~~!という腹に堪える唸りを聞くが、こんなのは7年間航海を続けて、たった一回しか経験がない。これだって、風が、別の風にぶち当たったことで発する音だ。
勿論、波が船べりにそって流れる音や大きなうねりが船体のぶち当たる音、または、セールが裏風を受けてバタバタとシバーする音、ヨットのシート(ロープ)類がブロックや船体の木部にこすれて鳴るギ、ギ、ギギギ~なんて音は聞こえるし、風はヨットそのものに当たって音を発しているから、艇上が無音というのことではない。つまり、風に逆らう時、その逆らう物固有の音を発するので、風そのものには、かなり強く吹いても音がない。(「逆らう」という言葉には自動詞性が感じられて適切ではない。日本語にピッタリ当てはまる言葉が見つからないが、あえていえば“Against”という英語が適当と思われる。この単語は、逆らうという意味もあるが、もたれ掛かるといったニュアンスもある。)
だから、セールがジャストトリムで全く抵抗なくセール上をスムーズに風が流れ、艇速とうねりの速さ、さらのに艇の長さとうねりの波長が絶妙に調和した時、ヨットは海面を滑るように走り、艇上は全くの静寂に包まれる。そんな時、ふと自分の声が本当に音として発しられているかどうか全く不安になって、しきりに意味もない絶叫を洋上に撒き散らしたものだ。今回、久し振りに大型クルーザーに乗る機会を得て、激動の中のあのえも言われぬ静謐を思い出した。
今まで、どうしてそれに気がつかなかったのだろう。不思議といえば全く不思議な話だが、私たちの周囲には常に音があり、また動くものにはそれぞれ固有の音があって当然という先入観が、ありもしない音を恰も聞こえているかのように思わせていたのに違いない。
「動中静あり」とは、ある種の極意であろうが、風には音がないという事実に気づいたことは、当たり前のことを当たり前に受け止めたということか。極意とは、当たり前に気づくということなのかも知れない。

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