9月19日(火)/晴・曇・強風

昨日、台風13号が日本海側をかすめて北東へ去った。
今日の目まぐるしい気象は、なまじ台風の直接的な影響を受けなかったが為に、却って台風一過の晴天とはならなかったということらしく、晴れたと思えばたちまちに雲におおわれ、絶え間なく強風が吹き荒れている。
台風13号は、情報によれば、東北・北海道に再上陸して被害をもたらす可能性があると警戒を呼び掛けている。思えば、今を去る10数年前、青森に再上陸した台風が、リンゴに甚大な被害を与え、手掛けていたリンゴ関係のキャンペーンの仕事が、一晩にして無に帰したことがあった。
一年かけて丹精した作物が、一夜にして壊滅した現場を目の当たりにして、自然の脅威のもの凄さよりも、何故か人生の無常を思い知らされたことが、今も記憶に鮮明である。あんな無惨な被害が再び起こらないことを切に願っている。

先日、70歳の誕生日を迎えた。
私としては、60の次は70という当然のなりゆきと考え、70歳の誕生日にことのほか感慨はなかった。
ところが、ある方から、『恙無く古稀を迎えられたことを寿ぎ、お慶びを申し上げます』という祝辞を頂いた。言葉としての古稀が70歳を意味し、通例として長寿(現代ではそうともいえないが)の入口に立ったことを祝うものであることは知っている。しかし、自らに古稀の祝いを身にまとってみて、何故か愕然とした。70歳と古稀が同義であることは分かり切ったことであるのに、本人にとって受け止める意味合いとインパクトは全く別のものだった。
それは丁度、はじめて乗り物で席を譲られた時の当惑に似ていた。自分では年寄りを見かけたら席を譲る気構えでいたのに逆に席を譲られたという、客観的に紛れもなく私が老人であったと審判された驚きである。いや、私の心中に、無視し続けていた老いという自覚はあったはずだ。しかし、人知れず、上手に隠し通していると思っていたのに、それを見事に暴露されてしまったような当惑だった。
古稀を祝われてみて、はじめて70年の来し方を思った。
事細かに或る一年をひも解いてみれば、それは様々な人々とその思惑に行き惑い、思いもかけぬしがらみに絡められ、努力の成果と落胆の波間に浮沈し、勝算もない戦いに見せ掛けの優勢を誇示し、一刻の休養と睡眠を渇望し、日と日の区切りもない活動に自らを鞭打ち、それは驚くばかりに濃密に綴られ、組み立てられている。それが70回も繰り返されたかと思えば、70年は驚くばかりに永い。
しかしまた、65年も昔の幼稚園生の頃、保母に引率されて傷痍軍人の見舞いに病院へ出掛けたという1コマを思い浮かべると、それはつい数日前のことのようにも思えてならない。
邯鄲の枕を借りて炉辺でうたた寝した盧生が、必死の努力の結果次第に立身出世し、遂には栄華を極める夢を見るが、目覚めてみれば鍋の黄梁が煮える間だったという、人生は正に『黄梁一炊の夢』でしかないのだろうか。
私の禅の師匠・菅原義道師は、生前、揮毫を求められると「夢一生」と書かれた。良寛は、貞心尼への返歌に「夢の世に かつまどろみて 夢をまた かたるも夢も それがまにまに」と詠まれた。また、多くの禅僧が『夢』の字を揮毫されるが、夢窓国師の『夢』の墨蹟は国宝としても名高い。
不思議なものである。古稀の言葉を自らのものとして受け止めて以来、先人たちの語った夢の間の生涯というものが見えてきた気がする。そして、まだまだ若いと見栄を張り、はり切ればはリ切るほどに、身振り手振りの隙間に老いが見え隠れする。
まあ、癒えることない生来の偏屈が災いして歳不相応に張り切り、今こそ青春などと嘯き、臆面も無く老醜を曝しながらも自分らしく老いを重ねて行く以外、私には辿るべき道がないこともよく知っているつもりだ。やりたいことは、まだまだ、どっさり残っている。

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