10月14日(金)/晴のち曇り

自然の只中に身をおいて、人は人生に疲れた心を癒すという。
自然の内ふところに抱きとられ心を開くと、酷使したバッテリーを充電するようにどこからともなく身内に活力が満ちてくる。
都会の喧騒を離れ、林の上を吹き抜ける風の音を聞き、青い空を悠然と流れる雲を仰ぎ、林間に鳴き交わす鳥の声に耳を傾ける時、或いは、遮るものもない海原の彼方に夢を馳せ、白々と磯に砕ける波飛沫にかすかに頬を濡らし、海風の中を軽やかに飛翔するカモメに口笛で呼びかける時、人は大らかなこの自然を本然的な故郷なのだと確信する。
自然は、何も人里離れてのみあるわけではない。都会の外れの河原や目と鼻の先の里山にだって、人跡を感じさせない自然が残っていて驚かされることがある。
先日、掛かり付けの医者に、少々肥満の傾向があるので運動をするように勧められた。血圧、血糖値、コレステロール等々が高めであり、さらに歳をとってからの肥満はいろんな生活習慣病を誘発するというのである。
運動のいちばん手近なものがウォーキング・・・とにかく、一日に最低一時間は歩きなさいという医者の忠告に従い、気が向いた時だけではあるが不承不精歩いている。喘息の持病がある私にとって、歩くことはそう楽なことではない。しかし、それを往々怠りながらも続けられるのは、途中から里山に分け入り、そこの窪地に田畑を耕す農夫だけが通う山道を散策する楽しみがあるからだ。はじめ私は、今時こんな細々とした道があることを訝った。若しかすると、誰かの住まいに通ずる私的な道なのではないかと。しかし、それにしては一般道からいとも自然に導かれるように細道は続いていた。まあ、どこかの家の前に出たら戻ればいいことだ。
歩くうち、差し掛かる木立は仄暗く辺りを覆い、時々、高い梢辺りから柔らかな木洩れ日が地面に斑模様を描く。足元にはドングリが散り敷き、つぶらな実をあらわにした栗イガもあちこちに見える。さらに、やぶの中のカエデの幹に樹液が黒い筋を描き、そこには二匹の見事なカブトムシが蜜を食んでいた。私というものの核心的な何かが、この気が遠くなるような静けさの中で深く陥没してゆく心地好い放心感、濃密な草木や土の匂い、チラチラと頬を撫でる木洩れ日の仄かな温もり・・・・・自然の気が満ちて私に降り注ぐ。私は急に幸せな感覚に包まれていた。

かつて私は、航海記『その先の海』の冒頭で、「人間も自然の一部ではないか。文明からどれだけ遠ざかれるかは分らないが、自然の側に自分の肩を寄せて生きられないものだろうか・・・」と書いた。つまり、もっともっとピュアな自然に人は憧れる。極端かもしれないが、私は自らの航海にそれを求めていたはずだ。
1997年、私はフレンチ・ポリネシアにいた。マルケーサス諸島の牧歌的な風土と現地の人々のフレンドリーな人情に包まれて数週間を過ごし、やがて悪名高いツアモツ環礁にやって来た。波に洗われた環礁が大きな湖ほどのラグーンを作り、環礁の連なりの中に小さな島が点在した。島の風下にアンカーを打ったとはいえ烈風を遮るには島は余りに小さく、それでも外海の荒波からはヨットを守ってくれた。
風は常時25ノット(約13m)で吹き募り、ラグーンの中とはいえシュノーケリングを楽しむには心穏やかとはいかなかった。10日間ほども碇泊しただろうか、他のヨットたちもこの強風には痺れをきらし、もうツアモツ環礁はパスしてタヒチへ行こうということになった。
チャートには記載がないコーラルヘッドにアンカー・チェーンが巻きついて錨が揚がらず、言葉に尽くせないほどの苦労をしたり、然るべき潮時に合わせてしか通過できないパスで座礁しかけたり、沸騰するような潮波にもまれたり・・・いい想い出もないまま、私はマニヒ環礁を後にした。
5日間ほどの航海でタヒチに着き、久し振りにパピエテの岸壁に繋留し、車の往来と人の多さ、そして道路の交通信号機に目を見張った。パピエテの街はプチ・パリといわれるほど表通りは垢抜けている。臙脂色の日除けを差しかけた表通りのカフェは私たちヨッティーの格好の溜り場になった。
或る日、《ファーザー》というヨットの日本人青年のKenがパピエテに到着し、街を歩いているのに出会った。彼とはヌクヒヴァで別れて以来なので、互いにそれ以降の足跡を語り合った。その中で、Kenは、ツアモツ環礁群の名もない小さな環礁を入り、その無人のラグーンに4日間碇泊した話をしてくれた。
「初めは、この世界全部がオレのものって感じでしたよ。やっと憧れていた本物の自然がオレのものになったと本当に痛快でした。目が醒めりゃ、猫の額ほどの陸地に上がって椰子の実のジュースを飲み、シュノーケリングのついでにイセエビや魚をとって食べ、デッキに寝転んで本を読み、いつの間にかオーニングの日陰で眠っていました。日が沈むともう真の闇ですからね、夜は早々に眠りました。夜中に目を覚ますと、環礁に打ちつける外海の怒涛が砕ける音がいていました。2日間はあっという間に過ぎました。快晴だった青空が雲に覆われ出したのは3日目の午後でした。次第に風も勢いを増し、夕方には嵐になっていました。風速は20mを越え、ラグーンを越えて外海の波も打ち込んできます。そして、月も星もない闇夜がやってきました。たった一本の細いアンカーロープが切れたら、ヨットはひとたまりもなく木っ端微塵です。オレは僅かに椰子の木が生えた小島に泳ぎ着けばどうにかなります。それでも、チャートにもほとんど記載のないこんなラグーンに来るヨットなんかいませんから、助かる見込みなんかありません。どうしても船を守らなければと必死でした。疲労困憊の果てにやっと夜が明けました。何とか荒れ狂う夜を凌いだのです。そして、岩礁だらけのパスの海底が見える正午ころ、オレは、本物の自然なんかに憧れた自分のおごった心を叱りつけながら環礁を抜け出ました。人間は自然の懐で癒されるっていうじゃないですか。でも、本当でしょうか。何だか、自然みたいなもの、偽の自然、或いは、いつでも逃げ込める文明をすぐ片側に置いた自然・・・そんなものに人間は憧れているんじゃないでしょうかねェ」
Kenほどではないにせよ、私もそれなりに自然の脅威に曝されてきた。そして今、洒落たカフェの椅子に深々と腰を落ち着け、Kenと向かい合ってアイスクリームを食べながら、排気ガスの匂いが立ち込めるパピエテの人と車の雑踏に、訳もなく安堵している自分を見ていた。「自然の側に自分の肩を寄せて生きられないものか・・・」そんな甘い夢に酔っていたかつての私自身が、何だか遠い昔の残像のように思い返された。
「すぐ逃げ込める文明を片側においた自然、作られたリゾート、虚構のパラダイス・・・その辺りが人間の限界かも知れないね」私たちは、そう呟いて、メイン・ストリートの向こう、パピエテの岸壁に舫うそれぞれのヨットに視線を投げかけた。

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10月14日(金)/晴のち曇り への4件のフィードバック

  1. 南雲海人 のコメント:

    ところでLangkawi に係留されているCIMAさんとは連絡がとれるのでしょうか。
    CIMAさんはLangkawiで購入した私のヨットを探しておられたとマリーナのスタッフに聞いたのです。しかし、MyYachtはプーケットへ修理のために移動させました。もし、CIMAさんと連絡がとれるようでしたら、恐れ入りますがよろしくお伝え下さい。
    なおMyYacht名は「jumping jack flash」です。オーナーの名前も日本名でなくトニーです。よろしくお願いします。

  2. zen のコメント:

    コメント、ありがとうございます。
    シーマの松浦氏とは、全く連絡がとれていません。先日の大津波の時も、随分心配してあちこち手を尽くしましたが、万策尽きてご自宅に電話を入れて無事を確認した次第です。
    その後の消息、今後の予定などお分かりでしたら教えてください。

  3. LINDA のコメント:

    すぐ逃げ込める文明を確保して自然を楽しむ。上手い表現!全くその通りですね。2年前ネヴァダのリノからオレゴン州を斜めにドライブしてユージンまで行きましたが、何しろ人の姿はないし居るのは牛だけ、しかも何の音も聞こえてこない所では恐怖に似た感覚に襲われて、此処で車が故障したらなどと心配になりました。アメリカの陸の孤島も結構怖いですね。
    デス・ヴァレイも怖かった。

    40年のアニヴァーサリーで14日から10日間ハワイに行ってきます。50年はおぼつかないですね。私の食道炎のため炊飯器持参です。
    近くにジョン・ウエイン空港がありアロハ・エアラインがマウイとホノルルに飛んでいます。マイクは妹に会えるので張り切っています。

    お体に気をつけて。

    リンダ

  4. 南雲海人 のコメント:

    シーマの松浦さんと08年1月に会いました。langkawiはロイヤルヨットマリーナです。相変わらず釣りと園芸をしており元気でした。エンジンを修理に出したらしくて、それが完了したらPhuketへ航海するようなことをおっしゃってました。

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