8月11日(金)/曇・31℃

暑い日が続いています。
台風が頻発する8月とはいえ、7号・8号・9号が一度に日本近海を襲うというのも珍しいことでした。
9号は台湾から大陸へ、8号は沖縄・奄美地方で猛威をふるい、7号は東海地方に接近し関東をかすめて三陸へ抜けて行きました。幸い、甚大な被害はなかったようですが、地球全体が狂ってきている証しとして、この連鎖的な台風の発生は不気味です。
そして、台風一過、昨日は関東内陸部で39.1℃という殺人的な気温を記録しました。暑さのせいか、ホントに馬鹿げた事件があちこちで続発しています。人間が地球を壊し、為に地球が狂い、その現象に人間共が狂う・・・何だか、荒廃した人心が潤いもない不毛の風景を繰り広げているとしか思えません。
そんな中、私はなす術もないこの暑さを、ひたすら怠惰にゴロゴロと非生産的に暮らしています。怠惰のお相手は、読書。本だって、最近は恐ろしく高価ですから、常に新刊を読むわけにもゆかず、書棚に並ぶ見慣れた書籍を、繰り返し繰り返し読んでいる訳です。
いま読んでいるのは、牛島龍介氏の『貿易風の旅人』です。
この本は、昭和58年に購入したもので、私に航海を決意させる要因の一部にもなった本です。実際、航海中は何度も繰り返し読みましたが、帰国後も含め、もうその回数は数え切れないほどです。
『貿易風の旅人』はどんな内容の本かというと、牛島氏がメキシコのエンセナダからヨットで太平洋を横断して日本に帰国するまでの航海を散文的に描いたものです。
牛島氏について、少々説明します。氏は、堀江謙一氏に次いで1969年に太平洋(福岡~オークランド)を単独横断し、翌1970年、メキシコのエンセナダから日本へ航海して日本人初の往復横断を達成しました。この本は、その時の様々を、実に洗練された筆致で描いたものです。
氏はさらに、73年には単独世界一周を、77年には、仲間と大西洋横断なども果たしたという、日本のヨット界の先駆的人物の一人といえます。
私は、牛島氏のこの著書を、洗練された筆致とか散文的な文章と書きましたが、正に、この本は航海を描きながら航海記ではないのです。どちらかといえば、航海に身をおいた者の随想とでもいえばいいのでしょうか、ヨットの航海技術や、ややこしいヨットの部分名称や構造やパーツなどには触れていません。或いは、少なくとも、それらをこの著述の主題としてはいないのです。そういう意味で、これは航海記ではなく、またそういう意味で、私の『その先の海』と相通じるものがあり、どういう風に通じ合うのか、それをはっきりさせたいと、もう何十回目かの読み返しをしているところです。
牛島氏は、水先案内となる航路誌もない航海を「冒険」とは考えていません。いや、むしろ冒険という考え方を真っ向から否定してさえいます。そして、自らの幼い頃からの屈折した思い出と対比させながら、その延長線上の「家出」、または「無分別で不条理な衝動的行為」と位置づけています。
エンセナダに碇泊するヨットで、金の無心の手紙を書いていると、何事にもすぐに感動し興奮しやすいアメリカ人旅行者が牛島氏に声を掛けます。そして、旅行者は「ヒーローに会ったのは初めてだ」と感激します。しかし、牛島氏は「僕はヒーローじゃない」と否定します。しかし、旅行者はそれに取り合わず、書いている借金の手紙を航海記を書いていると早合点し、そのページを20ドルで売って欲しいというのです。もともと、食べることにも事欠き、借金を嘆願する手紙を書いている状態です。牛島氏は、躊躇うことなく、旅行者の感激を損なうことなく作家になりすまして書きかけの手紙と引き換えに20ドルをせしめます。
氏の視線は常に屈折し、ものごとを斜めから皮肉に眺めます。食うや食わずのさ中に得た20ドルは、その半分をどうしようもなく怠惰なメキシコ人の友人に貸してしまいます。勿論、返って来る当てなんか微塵もありません。その日の夜、その友人が酔いつぶれているのを見ます。金が当初の計画である職探しに使われず酒に変わってしまおうとも彼は関知しません。終いには、正体なく酔いつぶれる友人を家まで送り、ベッドに寝かせます。ささくれた気分で友人の家を出ようとすると、家主が、「キミが彼に提供した金は私が預かっている。彼は明日早朝、バスで街に仕事を探しに行くだろう」といって、10ドル札をヒラヒラと振って見せます。牛島氏は、当然ながらホッとしたことでしょうが、本質的なところではそれにさえ関知せず、無感動に夜道を歩み去ります。
航海に気象の激しい変化はつきものです。ひどい嵐、それに、まるで拷問のように何日も続く凪・・・こうした状況の中で、子供の頃、家出に失敗して汽車賃を送ってもい、一人夜行列車で家へ帰ったことを思い出します。街の灯が車窓を過ぎ、前の座席には一人の老婆が膝を曲げて座っています。老婆の目は空洞のように虚ろで、通り過ぎる街の灯を潤いもないその洞に吸い取って行くのです。この歳まで、一人で旅をしたことのない不安がありありとうかがえ、彼は、心の内で、この老婆が無事目的地に着くことを祈ります。しかし、互いに一言も言葉を交わしません。夢中になって喋りたいことが山ほどあるのに。一人で旅を目論んだ顛末、森の中に作ろうとした丸太小屋のこと、最近死んだ祖父の幽霊を見たこと、一生、クマだけを相手に猟師の暮らしをする計画・・・人なつかしさの温かい気持ちの中で、子供のくせに、狡猾に、他人の苦しみを受け取りたくないという打算があるのです。彼が口火を切れば、老婆も胸の苦悶を押し付けてくるでしょう。その危険を無意識のうちに避けて、老婆の孤独にのみ込まれまいと必死に目を伏せていた・・・・・・と、牛島氏は書いています。
そして、航海について、「望んだ場所に来ているのに、いつも逃げ出す意識ばかり持っている。これでは何のためにきたのだろう。キャビンに閉じこもったまま、海など見たくもないと思っている。勝手に一人で出てきたのだから恨む人間も、八つ当たりする相手もないはずだろう・・・」と、航海の追い詰められた局面での苦しい自問が繰り返されます。これは、全ての航海者が全航程に引きずって行く想念で、当然ながら私もイヤというほどこの自問に悩みました。「何のために・・・」という問いほど、航海というものに不似合いであり、しかも縁の深いものもありません。
しかし、よく考えてみると、要するに死の恐怖と常に背中合わせでいることの緊張感と、その持って行き場のない絶望感が自問の正体なのです。そうすると、今度は、開き直って死そのものに思いを致します。
牛島氏は、「子供の頃、風呂の中で足をすべらせて仰向けになり、湯の中で息が詰まったのと同じことが起きるだけだろう。水をのんでも、せいぜいバケツ一杯くらいの水だろう。とすると、何も太平洋だからといって格別苦しむこともない。大洋を胃に飲み込みながら死んでいくわけじゃない。死ぬ身にとっては風呂も海も同質のものだ」といい、「ダメと分かったら、息をつめてこちらから海にもぐり込んでやれ。死とは、結局は死ぬだけのことではないか。僕は死ぬことは怖くはないが、自分が死ぬ存在であると考えることが恐ろしいのだ」と開き直ります。さらに、「三歳の幼児だって海で死ぬことは、いともたやすい。僕は生きるためにこそ、ここに来ている。そう考えながらも、どうしても動かし難い想念は心にしこったまま残った」と述懐しています。
僕は、出航の真際、取材者が怖くはないのか?と尋ねた時、「最悪でも死ぬだけじゃないですか。それ以上の刑罰が下される訳じゃない」と答えました。ヨット界の大先達と並べることは不遜ですが、同じ海に出れば、誰もが同じ想いに苛まれるものなんだという、ヘンに納得したような安心感をこの『貿易風の旅人』は私に与えてくれています。

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8月11日(金)/曇・31℃ への1件のフィードバック

  1. 沿岸のセーラー のコメント:

     私は若い頃、舵誌に連載されていた、牛島龍介氏のエッセイに夢中でした。
    次第に文脈が分かりづらくなり、支離滅裂としか思えない文章が目立ちはじめ、最初は私の読解力不足かとも思いましたが、突然連載が終わってしまいました。最近になり彼の著書を納戸の本棚で見つけ、再読していたら、その頃の臭いの様なものに包まれて、突然消えてしまった牛島龍介氏への思いが募って来ました。私の青春時代に大きな影響を与えてくれた牛島龍介氏は今、何処で何をしているのでしょう。ご存じの方がいらしたら教えてください。私が彼に何をするわけではありませんが、彼らしく無事に暮らしていてくれたらと、願うばかりです。牛島龍介流では、ナンセンスですが・・・

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